半坪ビオトープの日記


文明年間(1469~87)に南部光政が「田村袋の観音」として再建し、元亀2年(1571)千徳大和守政が社殿を改築した。慶長2年(1597)浅石城落城とともに廃社となり荒廃したが、寛永4年(1627)袋村住民が産土神として再興し、袋の観音堂と称せられた。明治4年の神仏分離令により白山姫神社と改称し、現在に至っている。全国に多くある白山神社の内、延喜式神名帳に記載されているのは白山比咩神社だけであり、明治時代にそれが白山神社の総本社と認定されたため、白山比咩神社から勧請を受けたと由緒を書き換えた白山神社が多いといわれる。
ようやくたどり着いた拝殿前の七の鳥居は、朱の両部鳥居である。

拝殿前にも馬の神使と狛犬がある。狛犬は昭和13年の建立という。

祭神は伊邪那美命菊理姫命(くくりひめのみこと)で、後者は願い事を聞き届ける神とされる。菊理姫(媛)命は、古事記日本書紀本文には登場せず、日本書紀の一書に一度出るだけという。役割は不明だが縁結びの神といわれる。加賀の白山や全国の白山神社に祀られる白山比咩神と同一視されている。

弘法大師の作と伝えられる本尊の勢至菩薩は失われていて、今奉安されているのは馬頭観世音だといわれる。
本殿と拝殿の間の外壁には、絵馬がいくつも掛けられていた。

拝殿の右には小さな境内社があるが、その由緒はわからない。

三十三観音石像には、小さな袋が掛けられている。袋の観音様だからであろう。拝殿近くのこの石像は三十番である。