文明年間(1469~87)に南部光政が「田村袋の観音」として再建し、元亀2年(1571)千徳大和守政が社殿を改築した。慶長2年(1597)浅石城落城とともに廃社となり荒廃したが、寛永4年(1627)袋村住民が産土神として再興し、袋の観音堂と称せられた。明治4…
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