半坪ビオトープの日記


翌日の午前中、日帰り観光バスに乗って、奥清津発電所、旧脇本陣、伊米神社を巡った。
三俣と苗場の間にある清津川沿いの奥清津発電所は、日本第2位の揚水式水力発電所である。上のカッサ調整池と二居ダムとの落差470mで発電し終わった水を、余力電力で夜間に元に汲み上げている。

二居ダムは高さ90mのロックフィルダムだが、現在ダムに上がる道が台風の土砂災害で通行止めのため見学できない。
Okkyという愛称の発電施設は見学することができる。発電所の運転は、埼玉県の川越にある制御室で遠隔操作されている。

三俣宿にある旧脇本陣池田屋は、旧三国街道に現在ある本陣・脇本陣としては唯一の古い遺構である。

徳川幕府が三国街道を整備し、宿場制度を定めた、約370年ほど前に建築されたと伝えられる建物である。
脇本陣を勤めた池田家の建物には、江戸時代の参勤交代の大名家の家老や佐渡奉行などが泊まった。

明治時代には元勲、山県有朋や文豪、森鴎外が宿泊した記録もある。

池田家の先祖は、織田信長豊臣秀吉に仕えた武将、池田輝政の流れの一人で、戦国の騒乱を避けて三俣に住み着いたと伝えられている。
池田家は、十日町小千谷・塩沢などの織物山地と江戸とを結ぶ重要な物流ルートであった三国街道の問屋・旅籠であった。
神棚を見ると、苗場山の神を祀っていることがわかる。

嘉永元年(1848)の三俣大火、慶応4年(1868)の戊辰の役、大正7年(1918)の大雪崩の難も免れ、当時の姿を今に伝えている。
格子戸、腰掛縁なども残っていて、昭和29年に新潟県文化財に指定された。