半坪ビオトープの日記


大蔵寺の境内には足尾社があり、大わらじが木の幹にかけられている。会津を含めこの地方には大わらじを新しく作り奉納する正月行事が残されている。これは「鬼やらい」の意味と五穀豊穣を祈願したものである。大きな足をもつ鬼よりさらに大きな足をもつものがいるのだと、鬼を脅しているという。

足尾大神の石碑は、各地にある足尾神社の関連と思われる。栃木県にも同様の碑が多くあるが、福島県では信夫三山にある足尾神社の大わらじが有名である。

足尾大神の脇には出羽三山、古峯神社の石碑が建っている。

往古の大蔵寺は阿武隈川の西にあり、長く信夫伊達千八百坊の首位にある古刹であったが、兵乱にあって炎上し、東岸の小倉寺村に移り、寛永元年(1624)に臨済宗に改めた。享保14年(1729)に観音堂を再建し、奥の院は寛政7年(1795)に今の多宝塔に改めた。
観音堂の本尊千手観音は、長い間33年に一度開扉の秘仏としてこの多宝塔に納められていたが、千手観音が収蔵庫に移された現在は、丈六の観音ほか7体の破損物(国重要美術品)が安置されている。

小倉寺の観音様と親しまれている観音堂だが、今の本尊は聖観音菩薩立像が厨子の中に収められている。ケヤキの一木造で、千手観音より少し遅れた藤原前期作とされる。

天井には、坂上田村麻呂が観音様の助けを得て蝦夷悪路王を征伐する戦闘場面の絵が描かれているというが、中をのぞいてもよく見えなかった。

一番高い所の宝蔵院(収蔵庫)に高さ4m、茅の一木造の千手観音立像(国重文)があり、平安初期か中期の作と見られている。大波小波の飜波式の衣文が特に古いという。この収蔵庫は入口にある庫裡で拝観料を払わなければ開けてもらえないが、必見の千手観音である。

収蔵庫は撮影禁止なのでパンフの切り抜きを載せる。その回りに18体の古仏群(国重美)が祀られ平安時代の作といわれる。こちらも風雨にさらされたように木肌が剥がれ落ち味わい深い。