半坪ビオトープの日記

那古寺、多宝塔


帰りがけに館山市の北部、那古山の中腹にある那古寺(なごじ)に立ち寄った。真言宗智山派の寺院で、山号は補陀洛山。安房国札三十四観音霊場第1番、坂東三十三観音霊場第33番の結願寺で、通称は那古観音という。駐車場脇には、昭和9年に建築された本坊があり、その右手に大ソテツがある。樹高は4.75mあり、嘉永7年(1854)に一力長五郎という力士が一対を寄進したという。

俗に裏坂という緩い勾配の参道を上がっていくと、朱塗りの仁王門が建っている。昭和36年の建築だが、永正8年(1511)に修理再建された記録がある。

仁王門に近づいてよく見ると、向拝のような軒唐破風には、兎の毛通しに鳳凰の彫刻があり、蟇股や持ち送りの彫刻もかなり手が込んでいて、全体的に豪壮な風情を感じさせる。

端正な金剛力士像には、珍しく金色や青色の彩色が施されている。

仁王門をくぐると、右手には阿弥陀堂、多宝塔が並び、正面には大きな観音堂が構えている。

阿弥陀堂には、鎌倉時代初期の制作と推定されている木造阿弥陀如来座像が安置されていたが、現在、東京芸大で修理中である。像高140cmの仏像で、県の文化財に指定されている。建物は、大震災前からのものである。

阿弥陀堂の先に建つ多宝塔は、宝暦11年(1761)住僧憲長が伊勢屋甚右衛門らと力を合わせ、万人講を組織、勧進して建てたものである。府中の上野庄右衛門、那古の加藤清兵衛などの地元大工により建てられた。高さ14.2mの三間多宝塔で、下層は方形、上層は円形で、その上に宝形造の屋根を置き、九輪の相輪の上に層塔風の水煙を付ける。下層の廻縁には擬宝珠高欄が付され、二手先の斗組の先端には象鼻が施されている。上層の出組は四手先で、尾垂木には竜首が彫られている。四方にある入口は両開きの板唐戸で、脇間には獅子の浮彫りが彫刻されている。蟇股には動植物の彫刻が施されている。内部中央の須弥壇に木造宝塔が据えられている。この木造宝塔は、多宝塔と同時期のもので、方形板葺、軸部は球形で四面を火燈形にくり抜き、内部に大日如来を安置している。なお、千葉県内の多宝塔は、石堂寺と那古寺の2ヶ所だけといわれる。

多宝塔の向いにある、鐘撞き堂と呼ばれる鐘楼は、昭和51年の建築で、梵鐘も同じ時の新しいものだが、永享12年(1440)には梵鐘が造られたという記録がある。現在、修理中である。

観音堂の手前にはいくつもの石造物が立ち並んでいる。石灯籠の左奥の石碑は、芭蕉の句碑である。
春もやゝ氣色とゝのふ月と梅 明治22年芭蕉二百回忌に稲原路米建立。

観音堂の正面に廻り込む角に、北条の和裁士尾城利作建立の針塚がある。釈迦誕生祝いの花祭りには、針供養も行われる。