半坪ビオトープの日記


藤枝市蓮華寺池公園の西に真言宗の楞厳山鬼岩寺(りょうごんざんきがんじ)がある。
永禄13年(1569)武田郡の兵火や、大正4年の火災により昔の大伽藍や数々の寺宝・古記録等を焼失したため、重厚な雰囲気は薄らいでいるが、約1300年の歴史を誇る藤枝地区を代表する古刹である。
境内に入ってすぐ左側に真新しい鐘楼が建てられている。戦時中に梵鐘を拠出したために、鐘楼は解体し骨組みは保存していたという。
戦後66年も経てようやく再建された鐘楼の落成式は、この二日後とのことだった。檀家達の喜びはさぞ大きかろうと思われた。

鐘楼より手前の右の塀沿いに、鬼岩寺境内から出土した1600点以上の宝篋印塔や五輪塔などの石塔部材が保存されている。宝篋印塔は「宝篋印陀羅尼」の経文を納めた塔で、鎌倉末期から室町時代にかけて流行した。
その形を模して供養塔としているが、15基あるうち一際大きい塔に「矢部隼人 永徳2年(1382)」と刻まれた銘が残っている。矢部氏は今川家に仕えた武士である。

小さな五輪塔は260基ほど発見されたが、まだ地中にいくつも埋まっているという。五輪塔にも応安(1368~74)年号のものと応永12年(1405)の年号が記されているものがある。特別に大きいものが別に安置されている。右が五輪塔、左が宝篋印塔である。

開創は神亀3年(726)行基が東国布教の途上にこの地に寄り、聖観世音菩薩を彫り上げ祀ったのが始まりという。
その百年後ころの弘仁年間(810~23)に、弘法大師空海がこの地に寄った。悪い鬼に苦しめられていた村人は、大師に鬼退治を頼んだ。7日の加持祈祷で現れた鬼を、裏山の岩穴に閉じ込めた後は鬼が出なくなった。これを機に、鬼岩寺と称するようになり、真言宗に改宗された。
弘法大師を祀る祖師堂(大師堂)の前には、弘法大師の像が建っている。

こちらは地蔵堂である。本尊の勝軍地蔵尊は全身真っ黒ゆえ黒地蔵尊とも呼ぶ。真言宗では神仏習合の教えがあり、この本尊は神では太郎坊大権現にあたる。堂内には応安6年(1373)の五輪塔が安置されている。