半坪ビオトープの日記

那岐神社、みたけ園


菩提寺から北東に進み、県境にそびえる那岐山の北側に回り込むと、那岐神社のある鳥取県の智頭町に至る。那岐山(1255m)は全体が古くから神として崇拝され、那岐大明神(奈義神)と呼ばれていた。のち宇塚村内に勧請され五穀豊穣の祈願がなされ、天徳年間(957~61)の初めに現社地の後山山頂に遷され、ついで現社地に移転したという。明治5年(1872)に那岐神社と改称されたが、明治2年から大正2年(1913)までに近郷神社37社を合祀している。大きな石造鳥居を二つくぐると土師川に架かる橋を渡り那岐神社の境内に入る。

鎌倉時代には、藤原・紀・伴・賀茂などの姓を名乗る郷の住人たちの信仰の中心であった。秋の例大祭では近在の村々から花籠が奉納される花籠祭りが催され、麒麟獅子舞や浦安の舞、子供相撲など多彩な奉納が繰り広げられる。麒麟獅子舞は江戸時代から続く神事の一つである。

拝殿前の灯篭は延享3年(1746)、狛犬嘉永6年(1853)の奉納という。

那岐神社は祭神として国常立神、伊邪那岐神伊邪那美神などを祀る。

本殿は寛文7年(1667)に再建されている。薄暗くてはっきりしないが、彫刻もかなり手が込んでいる。

拝殿の脇には奉安殿、北野神社、稲荷神社が並んでいる。

いちばん左の奉安殿は、終戦後すぐに那岐国民学校から移されたという。

奉安殿の右手の北野神社は、弘化2年(1845)の建立である。

その右手の稲荷神社は宝暦12年(1762)の建立である。

昼食は智頭町郊外の北股川上流にある原生林の渓谷、芦津渓谷の入口にある「みたき園」まで足を伸ばした。芦津渓谷は三滝をはじめ、巨岩や断崖、急流など日本屈指といわれる雄大な渓谷美に恵まれ、水源の森百選に選出されている。

深い森の中、小川の流れる園内には、囲炉裏のある茅葺き屋根の古民家や素朴な石置き屋根の庵が点在している。

大自然の緑の中で、地元で取れた季節の料理を満喫できる。イタドリなどの天ぷら、筍やフキなどの煮物、山菜料理が少しずつだが色々と味わえて趣がある。