半坪ビオトープの日記

榛名神社、三重塔


水琴窟の上を見上げると、右に朝日岳(雷天岳)が、左に夕日岳(風天岳)と呼ばれる岩山が聳えている。朝日岳の中腹には「宝珠窟」という洞窟があるそうだ。

参道が石段となるが、これは塩原太助が奉納した玉垣とある。新治村に生まれた塩原太助は19歳で江戸に出る際、榛名神社に詣で宿坊に逗留した。炭団(たどん)を発明して大繁盛し、江戸の豪商となった太助は、晩年に榛名神社に開運の報恩としてこの石玉垣を奉納した。

その先の石段を上り詰めると、三重塔が建っている。明治2年に再建された銅板瓦葺の三重塔で、県内唯一といわれ、高さは16mある。

高欄のない縁を廻らし、正面のみ中央間桟唐戸、脇間板張り、中備は十二支の蟇股となっている。初層、二層とも軒は2軒繋垂木で、組物は三手先となっている。内部には来迎柱があるが、仏像は安置されていない。神仏習合の名残をとどめ、現在は神宝殿と呼ばれて、天之御中主神をはじめとする五柱の天神を祀っている。

三重塔のすぐ先に鳥居があり、その左に御庁宣の碑がある。榛名神社に伝わる最古の文書である留守所下文を虫食い穴まで忠実に彫ったもの。その文書は、後鳥羽天皇が建久元年(1190)に上野国司に下した健児(こんでい)・検非両使の権力行使を停止する旨を許可するという文書で、現物は榛名町歴史民俗資料館に展示されている。

すぐ先の落石防護の屋根の下に、賽神社が祀られている。祭神は、八衢(やちまた)比古神と八衢比賣神である。他界より侵入して災厄をもたらす邪神、悪魔等を塞ぐ神で、道路の四辻、村の入口などを守る。

その先の左手上には、安藤広重が描いたという「行者渓」の奇観が眺められる。かつて修験者が修行をした巨岩が迫る渓谷である。

その行者渓には、神橋が架かっている。平成21年に架け替えられた。

神橋を過ぎると、左手に一年中涸れることがないという万年泉がある。榛名神社は雨乞いの神として名高く、旱魃の時にはこの水を村に持ち帰り、田畑にまけば必ず霊験ありと信仰されてきた。