半坪ビオトープの日記

金鑽元三大師(かなさながんざんだいし)


深谷市から西へ本庄市を抜け、この日泊まる藤岡市の八塩温泉に向かう。群馬県藤岡市に入る直前、埼玉県児玉郡神川町に元三大師がある。正式には、金鑽山一乗院大光普照寺という天台宗別格本山の名刹である。

古くは聖徳太子の開創で、舒明天皇勅願寺であったと伝えられている。
平安初期に最澄の弟子慈覚大師円仁が入山し、本尊に十一面観音を安置して天台宗に所属し、大光普照寺と名付けて開基となった。平安中期に元三慈恵大師が当寺に滞在し教えを広め、自作の像を刻み奉安したので、元三大師の寺と呼ばれるようになった。

鎌倉末期には川越の喜多院より尊海僧正の弟子豪海が入山して中興の祖となり、金鑽談所という学問所を開設した。当寺、関東の三談林と称され、東国天台宗の中核となった。
現在の本堂は、文化5年(1808)の再建で、中央に元三大師を安置する形になっている。

本堂の彫刻も神社の彫刻のように鋭い目つきの龍が彫られている。
元三大師とは、正月3日になくなったため名付けられたとされ、当日は最大の縁日で縁起物のだるま市や新年の初詣とあいまってたいへん賑わうという。

厄除けの寺としてもよく知られていて、魔除けの護符は元三大師が鬼形になった絵を表すため、角大師とも呼ばれる。
本堂右手には、寺宝の経巻、古文書や絵画などが所蔵されている宝物館があるのだが、一般には公開していないとのことだった。

明治初年まで向いの金鑽神社の別当寺であったためか、境内に鳥居のある神社があった。
逆にもと大光普照寺の多宝塔は、今は金鑽神社の境内にあって金鑽神社のものとなっている。

境内の裏山は野鳥の森となり、見晴台からは関東平野上毛三山が一望できるという。
11月中旬だったので、この辺りが紅葉の盛りだった。