半坪ビオトープの日記

秩父、椋神社


2月14日から翌日にかけて降った大雪は、埼玉県秩父市で観測史上最高の98cmを記録した。多くの山村で孤立状態が続き、自衛隊が出動して除雪にあたったがかなり難航したことが連日報じられた。その秩父地方に1月下旬、史跡巡りで出かけた。
秩父駅の北西、旧吉田町にある椋神社は、日本の憲政、自由民権の原点でもある、秩父事件武装蜂起の拠点として知られている。

伝説によれば、日本武尊が東征の際、矛を杖にして山路を越えこの吉田まで来ると、矛が光を放ち飛んで行った。尊は不思議に思い光が止まった所に行くと、井の辺の椋(むく)の木陰から猿田彦命が現れ道案内をしたという。尊が持っていた矛を神体として猿田彦命を祀ったことが創祀とされ、以来、井椋様と呼ばれ親しまれているという。元は、井椋(いくら)五所大明神と号しており、「いくらじんじゃ」が本来の呼称である。近世になり、地元以外から「むくじんじゃ」と読まれることが多くなり、現在の呼称になったという。境内には椋の木も植えられている。

延喜式神名帳式内社であり、同名社が秩父郡市内に5社を数える。

社殿の造立起源は、和銅3年(710)、多治比真人が籾五斗と荷前を奉ったという。

拝殿は、八幡神社の旧拝殿であり、大正10年に幣殿とともに改築されている。

主祭神猿田彦命であり、ほかに武甕槌命経津主命天児屋根命、比売命などを祀る。

本殿は、秩父神社と同様に永禄12年(1569)に武田軍の侵攻で焼失し、天正3年(1575)鉢形城北条氏邦により再建される。その後寛永4年(1627)に幕府代官による大修復造営がなされる。美しい彩色と、屋根破風奥の蟇股の彫刻などに当時の宮大工の技術が偲ばれる。

拝殿の右手には、社屋に覆われた中に、大小3つの小さな社が祀られている。一番左の社の脇には大黒様と思われる像が置かれている。

その左手にも、摂末社がまとめて祀られている。

拝殿の左手にも、大小3つの小さな社がまとめて祀られている。境内社としては、神明社、天満社、諏訪社、稲荷社、疱瘡社、産泰社があるそうだが、どれがどれかは分からない。