半坪ビオトープの日記

聖天山、軍荼利明王


本殿に向かって右側に回廊があるが、その右手に仁王門の右から回り込むと鐘楼が建っている。宝暦11年(1761)の建立であり、棟梁は2代目の林兵庫正信である。昭和30年に改鋳されている。

鐘楼の近くに松尾芭蕉の句碑がある。真ん中にある高さ172cmの細長い角柱で、文化9年(1812)東都秋香庵・兆識を含む地元の五翁、角浪、可良久、五渡、五楼により建立。碑文は太田蜀山人の筆による。
稲妻や 闇のかた行 五位の声  芭蕉(続猿蓑)
左の大きな石碑は、雉子塚の碑である。
聲ほとに威儀もつくらぬ雉子かな  梅室  
きしの声此春はたゝに聞き捨す   白雄
ほか数人の句が刻まれている。慶応4年(1868)有磯庵三世五渡建立という。

さらに回廊の右側を進むと、突き当たりに軍荼利(ぐんだり)の滝があり、水が落ちている。

滝の右側の岩に彫られているのは、軍荼利明王の像である。軍荼利明王とは、梵名クンダリーで、軍荼利とはその音写である。「クンダ」とは水器、瓶、「リー」は止めるの意味から、瓶は不老不死の霊薬とされる甘露を入れる器であり、甘露軍荼利と呼ばれるそうだ。この軍荼利の滝が甘露を表しているという。軍荼利明王は、一面八臂の姿で、手は2本の腕で三鈷印を結び、他の腕には武器や斧を持ち、顔は三つ目でとぐろを巻く蛇を身に纏った姿で像形されることが多い。他の明王と同じく強い力を持ち、様々な障害を取り除くとされ、歓喜天(聖天)を調伏した支配者であるともいう。

小川の脇にいかつい像が立っている。不動明王であろうか、それとも脇侍の制多迦童子であろうか、残念ながら詳細はわからない。

平和の塔に向かうと、その手前に、朱色の弁天社と思われる社が建っていた。

平和の塔は、多宝塔型で総欅造りである。十一面観音を本尊とし、昭和33年に建立されている。