半坪ビオトープの日記

金鑽神社、多宝塔


明けましておめでとうございます。新年になりましたが、11月に行った埼玉県西北部の史跡巡りを続けます。
埼玉県児玉郡神川町二ノ宮にある金鑽(かなさな)神社は、その地名の通り武蔵国二宮であり延喜式内社の名神大社として古くから知られている。国道462号線沿いの、金鑽元三大師の斜向いにある石造の大鳥居から、鬱蒼とした森に囲まれた広い境内に入る。

参道の二の鳥居の奥にはモミジが鮮やかに紅葉していた。

参道の右手にある多宝塔へいたる細い山道を登っていくと、道端に小さな蚕影神社が建っている。

さらに山道を進むと右手の高台に木々に囲まれて、国指定の重文である多宝塔が建っている。3間4面の杮葺き、宝塔に腰屋根がついた二重の塔婆であるこの多宝塔は、天文3年(1534)に阿保郷丹荘の豪族である阿保弾正全隆が寄進したものである。昔、当神社の別当寺であった大光普照寺の多宝塔であったが、明治の神仏分離で当神社のものとなった。

参道をさらに進むと社務所の前に出る。小川に架かる朱色の橋の向こうに三の鳥居がある。
源頼義と義家が奥州「前九年の役」追討出陣のとき、当社に戦勝祈願し、この橋を架けたとされ、義家橋と呼ばれる。

朱色の橋を渡るとすぐ右手に大きな銀杏の木が立っている。源義家が旗を立てかけたと伝わり、旗掛け銀杏と呼ばれる。この銀杏が神木となっている。

三の鳥居の奥正面に神楽殿が見える。神楽殿手前の石壇を右に上ると拝殿がある。

三の鳥居をくぐるとすぐ右手に、薮椿の古木がある。郡内最古で、幹廻り180cm、樹齢600年以上とある。昔、当社と児玉町宮内の若宮神社の祭神が姉妹で喧嘩をして椿の枝で妹を打ったので、以来当社には椿が多く宮内には椿がない、あま、あまと呼んで打ったので町の境の坂の名を「あまが坂」と呼ぶ、と書かれている。

楽殿も落ち着いた雰囲気がある。