半坪ビオトープの日記

浄法寺


鬼石から神流川に沿って下っていくと浄法寺となる。地名にもなっている浄法寺は、正式には広厳山般若浄土院浄法寺という。奈良時代に鑑真の弟子である律宗の道忠が創建したという。弘仁6年(815)建立、寛文12年(1672)再建の相輪橖が墓地にあるが、見過ごしてしまった。最澄が全国6ヶ所に納経したところに建てたものといわれ、そのとき天台宗に改宗している。
脇に「伝教大師御巡錫の寺」と書かれた山門から入ると、本堂の前に青銅製の古そうな宝篋印塔が建っている。

現在の本堂は、享和4年(1804)に、棟梁八田清兵衛により再建されたものである。八田清兵衛は、寛政3年(1791)谷中の五重塔も建立した名棟梁である。

本堂の裏手には、伝教大師最澄護摩修行した旧跡という石壇がある。

境内の片隅には鐘楼が建っている。

鐘楼の格天井には、飛天(天女)の舞う様子や花鳥の天井画が描かれている。

本堂の右手には大師堂がある。

さらに広い境内を右手に進むと、高さ7mもある大きな銅像がある。
比叡山延暦寺開創1200周年にあたる昭和62年に、伝教大師最澄が錫杖を留めたといわれる浄法寺に建立された上人像(西村公朝作)である。

さらに右手にある小さな彰徳地蔵は、文化12年(1815)浄法寺住職・出三法印照芳上人により仏果増進と一切衆生済度を祈願して刻まれたものである。