半坪ビオトープの日記

穴切大神社


甲府駅の南西1kmの辺りに穴切大神社がある。社記によれば、和銅年間(708~15)甲府盆地が湖だった頃、国司が巡見し、湖水の水を抜いた跡が良田になると考え、大己貴命に祈願を込めて、鰍沢口を切り開いた。そこから湖水の水を富士川に落とし、広大な良田を開墾できたという伝説から、穴切明神として創建されたという。この地からは縄文土器も出土しており、古くから人が住んでいたことが知られる。鳥居をくぐって参道を進むと山門がある。

山門の随神門は、寛政6年(1794)に建てられたもので、3間1戸、2層の楼門形式、入母屋造銅板葺きである。棟梁は下山流竹下源蔵、彫刻は諏訪立川流初代和四郎富棟であり、特に獅子鼻や象鼻、牡丹・若葉などの動植物彫刻が美しい。

山門をくぐると右手に神楽殿がある。向唐破風造の神楽殿は、山門より早い時期に建立されたと推測されるが、外部に張り出す屋根の両翼部は後年に増築されたものと思われ、その張り出しの形状は天保6年(1835)上棟の諏訪大社下社秋宮の神楽殿との類似が指摘されている。

新しい拝殿は、鉄筋コンクリート製の切妻造平入銅板葺きである。

拝殿の背後に回廊で囲まれ、屋根だけがかろうじて見えるのが本殿である。1間社流造、安土桃山時代の作とされ、側面から見ると屋根が棟を中心に、前後に水が流れるような線をもっているので流造といわれる。

正面には美しい金具をつけた両開き戸があり、その前と両側面には欄干つきの板縁がめぐらされている。向拝は鮮やかに彩色された連三斗の組物を用い、向拝柱同士を繋ぐ虹梁も簡素な造りであるが漆で赤と黒に鮮やかに塗り分けられ、格式の高さを感じさせている。各所に安土桃山時代の彩色と特徴をもつ彫刻が配されていて、国の重文に指定されている。