半坪ビオトープの日記

武田氏館跡


甲府駅の3km北に武田氏館跡(武田神社)がある。武田信虎は、永正16年(1519)ここ躑躅ヶ崎の地に館を築造した。以後、勝頼が韮崎に新府城をつくるまで3代60余年にわたり、甲斐武田氏の領国支配の中心となったため、 武田氏館跡(躑躅ヶ岡館跡)として国の史跡に指定されている。

武田氏館跡の主郭部(現武田神社)は、堀と土塁によって画された2町(約218m)四方の方形であり、ここに主殿・常の間などが建てられ政庁として機能した。全容は未だ明らかではないが、全国的に見ても最大規模の館跡と評価されている。

武田信玄を祭神とする武田神社は、官民一体となって大正8年(1919)に造営された。県内市町村から寄進された、数百種の樹木が森を形成している。

神橋をわたり参道を進むと拝殿が構えている。武田氏館跡の北半分に建てられている。

拝殿の後ろには中門と本殿が建っているが、木々が邪魔してよく見えないのが残念である。
宝物殿には、信玄の正室三条夫人の縁故によって京都三条家より寄進された「吉岡一文字」の太刀があり、国の重文に指定されている。ほかにも信玄画像、武田二十四将図、信玄使用の軍配団扇、扇面絵などが展示されている。

信玄も使用したと伝わる古井戸が拝殿の右手に残されている。
武田氏館跡を最後に、9月下旬に行った、大菩薩から塩山、甲府の一泊の旅を終えたが、帰りは台風の大雨で渋滞に巻き込まれてしまった。