東参道から鳥居をくぐると、入口御門が建っている。上社宮大工棟梁原五左衛門親貞と弟子の藤森廣八が、文政12年(1829)に構築し、巧緻な彫刻が施されている。
入口御門をくぐると、幣拝殿までの間をつなぐ布橋を渡る。梁間1間桁行37間(約67m)の細長い切妻造銅板葺きの建物で、文化9年(1812)造営とされる。
布橋の左、絵馬堂の右手には、文政11年(1828)建立といわれる、摂末社遥拝所が設けられている。諏訪大社には、約100社の摂社や末社が祀られているそうだ。
摂末社遥拝所の右に、小さな大国主社が建っている。諏訪大社の祭神・建御名方神の父神である大国主命を祀っている。
布橋から右手の外を見ると、先ほど通りすぎた神楽殿がよく見えた。文政10年(1827)に建立され、四方吹き通しの入母屋造である。建立と同時に奉納された大太鼓は、牛の一枚皮では日本一とされ、元旦の朝にのみ打たれる。
大国主社の右には、東西二つの宝殿が建っている。一方には神輿と神宝が納められ、6年ごとの御柱祭で御柱立て替えと同時にもう一方へ遷座し、古い宝殿は建て替えられ、神明造に似た古い様式を今に伝えている。神輿の納められる宝殿は「神殿」と呼ばれて祭祀が行われ、もう一方は「権殿」と呼ばれる。宝殿は一般の本殿にあたると解され、神社に本殿が設けられる過渡期の状態と考えられている。
布橋を通り抜けて広い境内に出ると、正面に宝物殿、左手に参拝所がある。参拝所の中に拝殿があるのだが、一般にはここから参拝する。残念ながら拝殿、幣殿ともに修理中で見ることができない。
参拝所で、4本足の梶の木の神紋の下から中を覗くと、正面には大きな拝殿の写真が見えた。拝殿の左側を右片拝殿、右側を左片拝殿とする「諏訪造」という造りで、脇片拝殿と呼ぶ。現在の建物は江戸時代末期の天保6年(1835)建立で、大工は原五左衛門である。
幣拝殿に対して右方向に勅願殿が建っている。勅願所とは勅命により国家鎮護などを祈願した社寺という意味だが、ここでは個人の祈祷所である。元禄3年(1690)建立といわれ、神霊が宿る守屋山(御神体山)に向かい立てられている。
勅願殿の右に宝物殿が建っている。諏訪大社は古来より軍神として崇められ、源頼朝や武田信玄、徳川歴代将軍、諏訪高島藩主等が進んで社領や宝物を寄進した。徳川家康ほか歴代将軍の社領寄進状や、前宮の神鏡と伝えられる麟鳳瑞花八稜鏡、青銅製の八栄鈴、祭事に使ったサナギの鈴など貴重な宝物が展示されている。
塀重門から石段を降りて下の境内に戻って振り返ると、右手に末社の高島神社が建っている。祭神として、諏訪頼忠、頼水、忠恒の高島藩中興の3代を祀っている。
これで11月初旬の北八ヶ岳と諏訪大社巡りは終わった。天狗岳は、またの機会にもう一度挑戦したい。