半坪ビオトープの日記

雲峰寺

大菩薩峠登山口から少し上った左手に、臨済宗の裂石山雲峰寺がある。寺伝によると、天平17年(745)に行基が開いたという。中世に武田氏の祈願所として崇敬を集めた。
本堂の手前に、樹齢数百年といわれるエドヒガンザクラの大木がある。
桜の木の右手奥にある宝物殿には、武田家歴代の家宝として伝えられた寺宝が数多く展示されている。いずれも天正10年(1582)武田勝頼が天目山で自刃後、家臣が当寺に納めたものといわれる。武田信玄の軍旗孫子の旗は6旒あり、紺地に金泥で「孫子」の14字「疾如風徐如林侵掠如火不動如山」が配されている。諏訪神号旗は13旒ある。日本最古といわれる「日の丸」の旗は、甲斐源氏嫡流を次いだ武田氏の重宝と伝える。

天文年間(1532~55)に火災に遭い建物を焼失したが、武田信虎が印判状を与え、寺僧が勧進して再建した。本堂は武田信玄の祈願文から永禄元年(1558)頃完成したと推測されている。方5間で4面に縁を巡らし、総円柱、屋根は檜皮葺き・入母屋造で、正面に唐破風造1間の向拝が付いている。室町時代の特徴が認められ、国の重文に指定されている。

本堂の裏にあって庫裏と渡り廊下でつながる書院は、正徳6年(1716)の建立といわれ、茅葺き・寄棟造で、書院造の伝統を見せ、重文に指定されている。茅葺きの屋根がかすかに見られるだけである。

庫裏は、江戸時代前期の再建と考えられ、屋根は茅葺き・切妻造、南面向きの妻入りで、正面の妻飾は禅宗庫裏の特徴を持ち、重文に指定されている。作家中里介山は、小説「大菩薩峠」を執筆する際にこの雲峰寺に泊まっていたという。

仁王門は本堂と同時期の再建と考えられ、八脚門、単層屋根は銅板葺き・入母屋造で、木鼻・蟇股等彫刻の外観に室町時代末期の特徴が見られる。

198段の石段の途中にある仁王門には、左右2体の仁王像が安置されている。