半坪ビオトープの日記

恵林寺、庭園

恵林寺明治35年の大火で、本堂や庫裏など主要な伽藍を失ったが、三門・四脚門と、信玄霊廟明王殿や開山堂などは残った。明王殿や庭園、信玄や柳沢吉保の墓などの拝観受付は大庫裏であり、この門をくぐって入る。

大きな庫裏は日本有数の規模を誇る。第二次世界大戦中の学童疎開では、東京の児童を150人も受け入れていたという。

庫裏の左には大きな方丈が建っている。この方丈が本堂とされている。

方丈の内陣は、禅定閣という。

方丈前庭は枯山水風庭園となっていて、白砂が敷き詰められている。その先には開山堂が見える。石庭の左隅には大きな鬼瓦がある。

方丈の裏手にある恵林寺の庭園は、夢窓疎石が創建当時に作庭したと伝えられる。背後の乾徳山を借景にし、心字池に築山を配した池泉回遊式庭園で、国の名勝に指定されている。
夢窓国師はこの10年後に、京都の天龍寺西芳寺庭園を作庭するなど有名である。

信玄霊廟明王殿に続く廊下は、うぐいす廊下といって、歩くとキイキイと板が鳴く。