半坪ビオトープの日記

窪八幡神社、若宮八幡神社

拝殿の右手にある鐘楼は、桁行1間・梁間1間、袴腰付、重層寄棟造・檜皮葺きで、天文22年(1553)に信玄により建立され、神仏習合の姿を残している。倒壊寸前の所、昭和56年に解体復元されている。

本殿の裏手には小さい末社がたくさん祀られている。左から北野天満宮、道祖大神、久住大神、大宮神社山王神社、八剱大神、白山神社、松尾大神と並ぶ。

本殿裏手右奥にある如法経塔は、享禄5年(1532)に建てられた、高さ1.4mの安山岩製の石塔である。軒の反り方や屋根の勾配などに室町時代の特徴があり、全国的にも珍しい。如法経塔とは、写経に草を筆とし石を墨として、一字ごとに礼拝書写する如法業によった経文を埋納して建てた塔である。

如法経塔のさらに右奥に、末社宗覚社、稲荷社が祀られている。

工事中の本殿の右に並立している摂社若宮八幡神社本殿は、神社本紀によると応永7年(1400)武田信満の再建と記されるが、建築様式から15世紀後期の様式で、当社最古の建造物であることがわかっている。
三間社流造・檜皮葺きで、軸部の内部まで仕上げられた円柱、幣軸構えの形式、脇障子を省略した縁、きわめて深く折れた破風の反りなど、多くの古式な点が認められる。祭神は仁徳天皇で、本社祭神と縁故が深いため摂社とされる。

その手前に建つのは摂社若宮八幡神社拝殿である。天文5年(1536)に武田信虎が建立したという。本社拝殿が切妻造であるのに対し、桁行4間・梁間3間の入母屋造・檜皮葺きで、簡素な落ち着いた外観となっている。

境内のサクラの木で小さなキツツキが幹をコツコツたたく音が聞こえた。よく見るとやはり最も小さなコゲラであった。