半坪ビオトープの日記

窪八幡神社、鳥居

山梨市駅の北、笛吹川にかかる八幡橋の西に、窪八幡神社がある。貞観元年(859)清和天皇の勅によって、九州の宇佐八幡宮笛吹川沿いの大井俣に勧請し、大井俣神社と称したのが始まりといわれる「延喜式式内社である。東の参道の、境内から約150m離れた所にあるこの鳥居は、武田信虎が天文4年(1535)42歳の厄除けに建立したもので、高さ7.5m・幅5.9m、木造の鳥居としては日本最古である。国の重文に指定されている。

神門は、永正8年(1511)信虎の建立とされ、四脚門・切妻造・檜皮葺きの素木造である。神門前を流れる小川に架かる石橋は、分厚い一枚石の反り橋で、鳥居とともに建立された。神門と石橋も重文に指定されている。

大きな拝殿や本殿は石垣の上にあるが、石垣の左下に小さな末社比咩三神社本殿がある。田心姫命湍津姫命市杵島姫命の三神を祀る。一間社流造・銅板葺き(元は檜皮葺き)で、唯一寛永2年(1625)に徳川忠長が再建した建造物で、重文に指定されている。

祭神として、中正殿に応神天皇、北正殿に仲哀天皇、南正殿に神功皇后を祀る、山梨県下最古の八幡宮である。三間社流造を三棟連結し、間に造合いを一間ずつ入れて、合計十一間社・檜皮葺きの桁行11間(約22m)・梁間2間という日本最大の流造本殿で、地面まで続く丸柱に特徴がある。応永17年(1410)に武田信満が再建し、享禄4年(1531)に信虎が修理、弘治3年(1557)に晴信(信玄)によって金箔や八双金具が装飾されたと伝えられる。平成23年正月より3年がかりの改修工事中で、残念ながら見ることができない。
拝殿は、本殿に対応し、間口11間の切妻造・檜皮葺きで左右対称でなく、床が低いのが特徴である。天文22年(1553)に信玄が信州の村上義清を討って宿願を成就したため建立したという。軒の鰐口も本殿・拝殿とともに重文に指定されている。

本殿左側に隣り合わせている末社武内大神本殿は、祭神が武内宿禰で、一間社流造・檜皮葺きである。

その斜め左手前にある末社高良神社本殿は、祭神が高良明神、一間社隅木入春日造・檜皮葺きで、ともに明応9年(1500)に信昌により再建されたといい、ともに重文に指定されている。