半坪ビオトープの日記

日御碕神社、神の宮


楼門をくぐると右に廻廊が上がっていくが、門客人社の先からも石段の上に上の宮=神の宮の拝殿が見える。主祭神は、素盞鳴尊(すさのお)であり、相殿に娘達である田心姫(たこりびめ)、湍津姫(たぎつひめ)、厳島姫(いちきしまひめ)の三女神を祀っている。

出雲の国造りを果たしたスサノオは、根の国の熊成峰に登ると、柏の葉を投げて自らの神魂が鎮まる場所を占った。柏の葉は日御碕神社の現社地背後の「隠ヶ丘」に止まり、そこに祀られることになった。その後、安寧天皇13年に勅命で現社地に遷座されたという。

神の宮の拝殿は、桁行三間、梁間三間、入母屋造向拝一間、唐破風造檜皮葺である。

神の宮の本殿は、桁行三間、梁間三間、入母屋造、檜皮葺であり、日没の宮とともに徳川三代将軍家光の命で、寛永21年(1644)に竣工している。両本殿内部の天井四壁の絵は狩野、土佐両派の画匠によるものである。

上の宮=神の宮本殿の後方に進むと柵で囲まれたような神紋石舎がある。中には、神の宮創始(隠ヶ丘鎮座)の由来となった「柏の葉」の化石である「神紋石」が鎮座している。

さらに裏手の山に向う朱色の鳥居がいくつかあり、進めばその上に稲荷神社がある。

境内の奥から社殿を振り返ると、左手に神の宮があり、正面やや下に日没の宮が建ち、右手に宝庫が見える。宝庫の右手には、多数の末社が並んでいる立花神社がある。この立花神社には、八幡社、大歳社、坂戸社等がたくさんまとめて祀られている。

宝庫は上の宮=神の宮の宝庫であり、桁行正面三間、背面二間、梁間二間、寄棟造向拝一間、檜皮葺きで、他の社殿と同様重文に指定されている。宝庫の左後ろには小さな荒魂神社がある。荒魂神社の祭神は速荒雄命である。そこまでが一段高い上の宮の境内であり、一段下になる下の宮の境内には、しっかりした造りの蛭児社が建っている。祭神は、蛭児命である。伊耶那岐と伊耶那美の最初の子で、不具であったため葦の舟に入れられオノゴロ島より流された。流された蛭子神が流れ着いたという伝説は日本各地にあり、えびす様と習合して祀られることも多い。

下の宮=日没宮の本殿の右手の境内には小さな韓国神社が祀られている。国引き神話では、この日御碕は新羅の三埼を国引きしてきたといわれるように、半島とはかなり古くから交流があったといえよう。由緒によると、祭神は、素戔嗚命五十猛命である。鎮座の由来は不詳だが、背後の山は韓国山といって明治初年までその中腹に小祠があったという。