半坪ビオトープの日記

日御碕神社、日沈宮


松江から山陰自動車道出雲大社に向ったが、出雲ICから大社までの道路がひどく渋滞していた。60年ぶりの大遷宮は相当混雑するはずだが、一週間前でもかなりの人出である。仕方なく迂回して、先に日御碕神社を訪ねた。『出雲風土記』に「美佐伎社」とある古社で、通称「みさきさん」と呼ばれ、出雲大社の「祖神(おやがみ)さま」として崇敬を集める。
現在の社殿は、楼門も含め、徳川三代将軍家光の命で、寛永21年(1644)に竣工している。

三間一戸入母屋造杮葺の楼門は、近年改修されて朱色がたいへん美しい。蟇股には、龍、虎、鳥などの彫刻が施されている。

楼門には、珍しく大きな寄木造の狛犬が鎮座していた。

楼門をくぐると正面に下の宮=日没宮、右手階段の上に上の宮=神の宮が鎮座しているが、くぐってすぐ左には、摂社の門客人神社がある。

くぐってすぐ右手にも摂社の門客人神社がある。もんのまろうど神社では櫛磐窗神と豊磐窗神、いわゆる「門神」を祀っている。客人神とは、元々土着の地主神であった神であり、門神もサエの神で、外来の邪霊を撃退する土着の神と考えられる。柳田国男も「石神問答」の中で、櫛石窓、豊石窓の二神が石神であり、シャクジは塞の神(サエのかみ)であるというように、どちらも土着の神と見なしている。中沢新一も「精霊の王」で、石神=縄文時代の古層の神=シャグジ=宿神といっている。
普通、以前にあった摂社は、本殿の脇や裏手にひっそり建てられているのだが、ここでは楼門を入ってすぐの両脇に堂々と構えて、門衛の役を与えられている。
門客人神社の構造は、一間社入母屋造、向拝一間、檜皮葺で、楼門や他の社殿と同時に建立され、国の重文に指定されている。

左手に建つ祓所は、桁行六間、梁間四間、入母屋造妻入檜皮葺であり、これも重文である。

正面の下の宮=日没宮(ひしずみのみや)の拝殿は、桁行五間、梁間六間、入母屋造向拝一間、唐破風造檜皮葺で、堂々としている。

下の宮の本殿は、桁行正面三間背面五間、梁間五間、入母屋造、檜皮葺である。下の宮=日没宮は、神代以来、現社地にほど近い清江の浜の「経島」に鎮座していた。その主祭神は、天照大神であり、相殿に天穂日命や天津彦根など息子達五神を祀っている。
日没宮の名の由来は、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社が「日の本の夜を守れ」との村上天皇の勅命を天暦2年(948)に受けたことによるという。

本殿入母屋の妻飾りの装飾も手が込んでいる。猪目懸魚の上の破風板の錺(かざり)金具や虹梁の上や下の装飾も華麗である。

大きな蟇股と豪快な三手先の朱色の組物、整然と並ぶ垂木の金色の小口が構造的な美しさを生み出している。日光東照宮に引き続いて幕府直轄工事として建築された、桃山時代の面影を残す精巧な権現造であり、豪壮な趣にあふれている。