半坪ビオトープの日記

東京

霊廟左列手前には、家光の側室で五代将軍綱吉の生母桂昌院ほか、歴代将軍の夫人や子女の多数が埋葬されている合祀塔がある。 宝塔は六代家宣の側室・月光院輝子のものである。 旧徳川将軍家霊廟の入口の前に、四菩薩像がある。右から普賢菩薩、地蔵菩薩、虚…

旧徳川将軍家霊廟は御霊屋と呼ばれ、増上寺大殿の南北(左右)に立ち並んでいて戦前はいずれも国宝に指定されていたが、戦災で96棟が焼失して残った建物も国宝の指定が解除された。その後、荒廃していた御霊屋群を昭和33年から調査、改葬されて現在のよ…

増上寺は徳川家の菩提寺であり、遺言により家康の葬儀が行われた寺でもあり、徳川将軍家の霊廟がある。 二代将軍秀忠など6人の将軍、同将軍御台所崇源院、皇女和宮など5人の正室、三代家光側室桂昌院など5人の側室や将軍の子女多数が埋葬されている。 霊…

増上寺の最初の鐘楼堂は寛永10年(1633)に建立されたが、現在の鐘楼堂は戦後に再建されたものである。 東日本最大級、江戸三大名鐘の一つという梵鐘は、延宝元年(1673)の鋳造で、高さ一丈(約3m)、重さ四千貫(約15t)もある。 四代将軍・家綱の命…

先月中旬、芝増上寺を見てきた。浄土宗鎮西派、三縁山広度院増上寺は、明徳4年(1393)酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人により開かれた。 場所は武蔵国豊島郷貝塚、現在の千代田区平河町から麹町にかけての土地と伝えられている。開山から戦国時代にかけて…

大口真神社が祀る御嶽神社の眷属である狼(御神狗、おいぬさま)すなわち大口真神は、2011年5月に、開山以来初めて開扉されたという。どんな狼の姿かぜひとも見てみたかったと思う。日本武尊が東征の折、御岳山にて狼に難を救われた際、「この山に留まり地…

武蔵御嶽神社は、珍しく現在、鎌倉宮や日光東照宮と同じく、神社本庁に属していない単立神社である。 宝物殿には、国宝の赤糸威大鎧と、金覆輪円文螺鈿鏡鞍・舌長鐙・馬具一式が展示されている。赤糸威大鎧は、畠山重忠により建久2年(1191)に奉納された、…

社伝によれば、崇神天皇7年(紀元前91)創建とされ、天平8年(736)に行基が蔵王権現を勧進したといわれる。 平安時代の延喜式神名帳には、大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのあまつかみのやしろ)と記されている。 文暦元年(1234)に大中臣国兼が荒廃し…

御岳山の山上にある武蔵御嶽神社は、古くより関東の霊山として信仰されてきた。 御嶽権現とも呼ばれ、厄除・延命・長寿・子孫繁栄を願う多くの人たちが参拝し、宿坊もたくさんある。 神社近くには大きな神代ケヤキがある。社伝では、日本武尊東征の昔から茂…

先日、レンゲショウマという花の日本最大の自生地が、奥多摩のケーブルカー御岳山駅近くにあるというので鑑賞に出かけた。 平日だったが、バスもケーブルカーも非常に混雑していた。 前回日の出山に行ったときには、左回りで御嶽山神社に向かい神社の手前で…

季節がよければ青梅丘陵ハイキングコースを歩いたり、塩船観音寺を見ながら霞丘陵ハイキングコースで岩蔵温泉まで歩くこともできるのだが、天気がよすぎて暑すぎるのでバスで岩蔵温泉に向かった。岩蔵温泉は、江戸時代に編まれた「新編武蔵風土記稿」に温泉…

月初めに、町おこしのテーマとして昭和レトロタウンをうたう青梅駅周辺を散策した。改札口にはバカボンのパパが逆立ちで迎えてくれる。 青梅宿銀幕街道とも呼ぶ旧青梅街道沿いには、名作クラシック映画の看板があちこちに立ち並んでいる。 シネマチックロー…

そこかしこに「ひので三ツ沢つるつる温泉」の看板がある。この小さな白い花は、コゴメウツギ属のコゴメウツギ(小米空木、Stephanandra incisa) という。 属名は、ギリシア語 Stephanos(冠)と ander(男)からなり、果時に雄しべが冠状に宿存していること…

御嶽山頂駅から約1時間ほどで日の出山山頂(902m)に到着した。日の出山は、青梅市と西多摩郡日の出町の境界に位置する。 関東ふれあいの道が山頂を通り、関東平野、東京都心方面の眺望が良いので日の出がよく見える。そのため、初日の出を拝む名所になっ…

道端にはヤマツツジの他にもいろいろと初夏の花が咲いている。この筒状花は、ツクバネウツギ(衝羽根空木、Abelia spathulata) という。 ツクバネとは、花の落ちた後の5枚の萼片の形に由来する。関東以西の山地に自生する。花冠は3cmほどで、5月に咲く。 …

先の日曜日に奥多摩に出かけた。御岳山から日の出山に登り、つるつる温泉に下るコースは、最近、中高年に特に人気があって混雑する。 御嶽駅で集合し、ケーブルカー乗り場までバスで行く。御岳山に上るケーブルカーも混雑していて臨時便が出た。 6分ほどで…

本丸跡から白鳥濠をはさんだ東側が旧二の丸で、ここに二の丸庭園がある。元は小堀遠州が造った庭園だが、何度も火災で焼失し荒れ果てていたものを、昭和43年に東御苑の公開にあたって復元された。 二の丸庭園は、九代将軍家重時代(1712〜61)の庭絵図面を参…

番所とは警備の詰所のことで、百人番所、同心番所と大番所の三つが残っている。 大番所は中之門の内側に設けられ、他の番所より位の高い与力・同心が警備していた。 この長い建物は百人番所。江戸城の正門だった大手門から本丸に入るときの最大の検問所で、…

東御苑には天守台のほか、二の丸庭園、百人番所、桃華楽堂、富士見櫓、松の廊下跡など見所も多い。 この穴蔵は石室で、大奥御納戸の脇という場所から、非常時に大奥用の調度などを納めたと考えられている。内部は約20㎡の広さがある。 この辺りは松の廊下…

皇居東御苑は旧江戸城の本丸と二の丸を中心とした地域で、面積は約21万㎡もある。 東御苑には大手門、平川門と、北の丸公園の南にあるこの北桔橋門の3ヶ所から入ることができる。 北桔橋門から入ると目の前に天守台が構える。その脇にある桃華楽堂は、香…

千鳥ヶ淵の先には千鳥ヶ淵戦没者墓苑が造られ、第二次世界大戦の折に海外で死亡した身元不明の日本人の遺骨が安置されている。 ボートが浮かぶ左側が戦没者墓苑で、右側が北の丸公園の西側になる。 かつて江戸城の北の丸であった場所にある北の丸公園には、…

千鳥ヶ淵に沿う全長700mの遊歩道が千鳥ヶ淵緑道で、ソメイヨシノやオオシマザクラなど約280本の桜が道行く人の頭上に咲き乱れている。 緑道の中央には四角い池に囲まれて、「自由の群像」というブロンズ像が立っている。広島平和記念公園の「原爆の子…

桜は数日前に満開になってしまったが、遅ればせながら花見に出向いた。 千鳥ヶ淵から東御苑のコースを選び、半蔵門に集まり歩き始めた。 半蔵門は江戸城の門の一つで西に位置する。徳川家康の家臣で、「徳川十六将」の一人である服部半蔵の名にちなむ。半蔵…

池袋北口の平和通りの一本西よりの通りにパキスタンカレー店「マルハバ」がある。20年前に開店ということでインド料理の表記もあるが、今はパキスタンレストランとうたっている。パキスタン人向けのレストランということで、イスラムの教えに忠実にアルコ…

池袋北口から平和通りに入るあたりに中国料理の「大宝」池袋北口店がある。平和通りの中国料理では「永利」が最も美味しく人気があるが、この店は100種以上の単品メニューがあって、安くて美味しい店といえよう。北京ダックコースや100種以上食べ放題…

目白駅から千歳橋に進み、明治通りを左に曲がった右側、雑司ヶ谷3丁目にあるこの店は、インド・ネパール料理のAnmol(アンモル)という。テイクアウトもできて、焼けるのを待ってナンだけ買う人もいた。 ディナータイムには32種類のカレーメニューがあり…

目白駅のすぐ近くに、野菜びすとろ「かいき」というダイニングバーがある。ジャンルにこだわらず旬の野菜を、素材の味を生かしながらいろいろな料理にして提供している。 びすとろランチには、「4種野菜と白身魚のカルトッチョ」「5種野菜と鳥取産大山鶏の…

府中駅の手前に称名寺という時宗の寺(諸法山相承院)がある。 境内には時宗の開祖、一遍上人の大きな像が立っている。一遍は鎌倉時代中期の遊行僧で、鎌倉新仏教の祖師の中で唯一比叡山で修学経験がなく、私度僧から聖に至る民間宗教者の系譜に属するといえ…

本殿の裏の右奥には推定樹齢約900年という大イチョウが、樹高約20mと天を突いている。幹回りが約8.6mあり、府中を代表する樹木である。 参道にはケヤキの大木が連なり、「馬場大門けやき並木」として国の天然記念物に指定されている。大鳥居の手前の大…

大鳥居をくぐって左にあるこの宮乃咩(みやのめ)神社という摂社は、創立が本社と同じというから、大国魂神社の前身であったかもしれない。 祭神は天鈿女命(あめのうづめのみこと)で、演芸の神、安産の神として崇敬されている。7月12日の例祭にて青袖舞…