半坪ビオトープの日記


本丸跡から白鳥濠をはさんだ東側が旧二の丸で、ここに二の丸庭園がある。元は小堀遠州が造った庭園だが、何度も火災で焼失し荒れ果てていたものを、昭和43年に東御苑の公開にあたって復元された。

二の丸庭園は、九代将軍家重時代(1712〜61)の庭絵図面を参考にして、回遊式庭園として復元されている。ここのハナショウブはそれほど多くはないが、庭園にとけ込んでとても美しく見えるので有名である。

二の丸庭園の北のはずれに諏訪の茶屋がある。明治45年の再建で、かつては現在御所のある、吹上地区にあったそうだが、東御苑が整備された際にここに移された。ほかにも武蔵野の雑木や野草を集めた二の丸雑木林や、各都道府県の木を植えた庭などもある。

梅林坂を下るとやがて平川門に出る。伊達政宗ほかの大名によって造られた平川門は、竹橋門より侵入した敵を撃退できるように、平川濠に伸びた細長い城郭を持つのが特徴である。場内罪人や死人が出るとこの門から出されるので不浄門と呼ばれたり、奥女中の通用門だったため「お局御門」とも呼ばれた。

平川橋ははじめ1614年に架けられ、その後幾度か改修の後、昭和63年に現在の橋が架けられた。台湾檜製の美しい木橋(橋脚と橋台は石、脚桁は鉄骨)で、長さはおよそ30mある。
宮内庁所管の美術品や絵画などが無料で見られる三の丸尚蔵館が、東日本大地震の影響で休館となっていたのが残念だったけれども、ここで今年の花見を終えた。