半坪ビオトープの日記

姫路城、大天守入口へ


好古園から東に姫路城の内堀に沿って進むと、武者溜りに姫路藩和船の乗船場がある。2013年に復元されてから、内堀をめぐる観光和船が人気を集めている。

姫路城の正面玄関である大手門には、江戸時代、内堀を渡るために木橋が架けられていた。現在の桜門橋は、発掘調査で出土した橋台の遺構を活かしながら復元されたもので、幅7m、長さ22mあり、平成19年に完成した。江戸時代、大手門の場所には桜門、桐二門、桐一門が建っていたが、明治に入り取り壊されていた。桐二門の場所に昭和13年に建てられたのが現在の大手門である。

大手門をくぐり、だだっ広い三の丸広場に出ると、正面に平成の修理を終えた姫路城が、白く優美な姿を見せている。姫路城の置かれている「姫山」は、古名を「日女路(ひめじ)の丘」と称した。姫山は桜が多く咲いたことから「桜木山」、転じて「鷺山」とも言った。別名を「白鷺城」とされるが、読みには「はくろじょう」と「しらさぎじょう」の二通りが使われる。

三の丸広場の左を進み、入場口を入るとすぐに、荘厳な「菱の門」が現れる。名の由来は、両側の鏡柱の上部にある冠木(かぶき)に菱の紋が打たれていることによる。姫路城の数ある門の中で最大の門で、大きさだけでなく意匠的にも他に類を見ない圧倒的な豪華さを誇っている。正面二階の中央には黒漆塗りに金の飾り金具で装飾を施した三連の格子窓、その左右には黒漆に飾り金具の釣鐘型の華燈窓、一番右には白漆喰塗りの出格子窓と、3種類の窓が設えられているのは珍しい。

菱の門から城内に入るとそこは「二の丸」と呼ばれるエリアで、見上げると天守群が一層輝きを増して聳え立っている。目の前に広がる四角い堀は、「三国堀」という溜池のような捨て堀である。堀を挟んで道が左右に分かれ、どちらに進むか戸惑わせる。どちらにも小さな門があって、門の先には兵が駐留する「武者隠し」がある。

さて迷路のような道を進み、色々な門を次々と潜っていく。小さな高麗門「いの門」「ろの門」の次の「はの門」は、門の上に櫓が乗っている最強の櫓門である。階上の櫓は、両側の石垣の上に乗っているように見えるが実はそうではなく、両側の柱によって支えられ自立している。敵に攻め込まれる前に扉を閉めて、両側の石を崩し、石で門内の空間を埋めてしまい、内開きの扉を巨石でブロックする戦法である。日本の数ある城門の中でもかなり古いスタイルを残した強固な門である。

「はの門」を潜って石段を上り、最上段のあたりで振り返って門を内側から見ると、変わった風景が見える。日本画壇の最高峰の一人とされる奥村十牛が、昭和42年(1967)に描いた「門」がここで描かれている。現在は東京の山種美術館に収められているという。

「にの門」を潜って西北腰曲輪に入ると、いよいよ天守群が目の前に迫ってくる。正面の白い土塀の一番左の下の石垣の間を切り欠いて、小さな埋門と呼ばれる型の「ほの門」が作られている。

「ほの門」を抜けてすぐ右斜め後ろの死角に、棟門という簡単な形式の「水ノ一門」がある。ここを潜ると「水ノ二門」、「水ノ三門」の前まで足元の勾配が下りとなっていて、天守への道を間違えて通り過ぎたかのような錯覚を敵に与える。この後、天守入口まで「水」の名を持つ門がいくつも続くが、この先に井戸があるので、この細長い区域を「水曲輪」と呼ぶこともある。