社伝によれば、崇神天皇7年(紀元前91)創建とされ、天平8年(736)に行基が蔵王権現を勧進したといわれる。
平安時代の延喜式神名帳には、大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのあまつかみのやしろ)と記されている。
文暦元年(1234)に大中臣国兼が荒廃していた社殿を再興し、以降は山岳信仰の霊場、修験場として知られ、関東の幕府や武士から多くの武具が奉納された。
現在の拝殿は、元禄13年(1700)に徳川幕府により造営されたものである。
拝殿は五間社入母屋造の朱塗りの社殿で、唐破風の向拝には彫刻がある。
拝殿の裏に続く現在の本殿は、一間社神明造で明治10年に造営された。祭神として櫛真智命、大己貴命(おおなむちのみこと)などを祀る。
本殿の左側には、二柱社、八柱社がある。
一間社流造の見世棚造である二柱社は、祭神として伊邪那藝(いざなぎ)大神、伊邪那美(いざなみ)大神を祀る。
八柱社は、春日社・八幡社・八雲社・八神社などを祀っている。
本殿の左奥には、北野社、巨福社がある。
一間社流造の北野社は、菅原道真を祀っている。
流造の小さな社殿が覆殿に納められている巨福社は、農作物を豊かにする土の神、埴山姫命(はにやまひめのかみ)を祀る。