半坪ビオトープの日記


武蔵御嶽神社は、珍しく現在、鎌倉宮日光東照宮と同じく、神社本庁に属していない単立神社である。
宝物殿には、国宝の赤糸威大鎧と、金覆輪円文螺鈿鏡鞍・舌長鐙・馬具一式が展示されている。赤糸威大鎧は、畠山重忠により建久2年(1191)に奉納された、日本三大鎧の一つといわれるだけあって、荘重優美な鎧である。余りにもきれいなのだが、やはりかなり補修されてきたという。
金覆輪円文螺鈿鏡鞍・舌長鐙・馬具一式は、鎌倉時代の軍陣鞍で、特に舌長鐙は長さが他に例を見ないものという。二つの国宝の指定書が一緒に展示されいて興味深い。
重文の紫裾濃大鎧も目を見張るほど美しい。鎌倉将軍惟康親王弘安の役の折、蒙古軍撃退の祈願のため奉納されたと伝えられるが、この伝承は明治以降のものという。
ほかにも重文の鍍金長覆輪太刀、黒漆鞘太刀などの武具や、建武5年(1338)の銘文のある鰐口などが展示されている。
宝物殿の前庭には、国宝の赤糸威大鎧を奉納した、鎌倉武士の畠山重忠の像がある。

本殿の奥には、神明社大口真神社がある。
神明造の神明社は、祭神として天照大神、豊受比賣神を祀る。

一間社流造の社殿で、豪華な彫刻が全体に施されている大口真神社は、御嶽神社の眷属である狼(おいぬさま)、大口真神を祀る。現在の社殿は昭和14年に建てられ、社殿後方は奥宮遥拝所となっている。

本殿の右側には、常磐堅磐社、皇御孫命社、東照社などがある。
一間社流造で漆黒に塗られ荘厳な装飾がほどこされている常磐堅磐社(ときわかきわしゃ)は、永承8年(1511)以前に造営された旧本殿であり、都の指定有形文化財に指定されている。祭神は、境内案内によると崇神天皇ほか96柱とあるが、神社頒布物によると諸国一宮祭神となっている。

朱塗りの一間社入母屋造で千鳥破風と唐破風がついている皇御孫命社(すめみまのみことしゃ)は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を祀る。天照大神の孫で、天照大神の命により、葦原中国を統治するため高天原から地上に降りた(天孫降臨)とされる。

皇御孫命社と東照社の間にある神山霊土歌碑は、巨福社で祀る土の神の霊力を讃える歌を詠んでいる。