半坪ビオトープの日記


府中駅の手前に称名寺という時宗の寺(諸法山相承院)がある。

境内には時宗の開祖、一遍上人の大きな像が立っている。一遍は鎌倉時代中期の遊行僧で、鎌倉新仏教の祖師の中で唯一比叡山で修学経験がなく、私度僧から聖に至る民間宗教者の系譜に属するといえる。時宗は浄土宗に似て、念仏により仏になれると説き、踊り念仏で爆発的に信者を得たが、一遍は寺を持たず、宗派をたてず、生涯を遊行で過ごした。

称名寺は寛元3年(1245)、道阿上人一光開山の古刹で、六孫王源経基が武蔵介の時の館址と伝えられている。経基王は、後に臣籍降下して源朝臣となった清和源氏、実は陽成源氏の始祖である。国司として武蔵国へ赴任して早々、上司の武蔵権守興世王と組んで足立郡司の武蔵武芝との間で紛争を起こし、仲裁に入った平将門を謀反の企て有りと訴えて臆病者と呼ばれて拘禁された。ところが翌年、平将門常陸国衙を襲って本当に謀反を起こしたため、経基王は先見の明ありとして清和源氏は武門の家ということになった。
これが本堂である。同じく境内にある地蔵堂は、日限子育地蔵尊を祀り、近隣の信仰を集めている。

墓地には、無縁仏である府中宿の遊女の墓がある。どこにも標識はなく、黄色い花の後ろに10基ほど小さな墓石が並んでいた。
折よく掃除している人に聞いて場所が分かった。
ここで今回の府中市史跡巡りを終えた。半日だが見所が多く、十分満足できた。