半坪ビオトープの日記

元町教会巡り


函館山にはロープウェイで上がることもできるが、その麓駅から北にかけての元町一帯は、数々の教会や旧領事館などレトロな建物が立ち並び、函館市内屈指の定番観光エリアとなっている。ロープウェイ駐車場に近い聖ヨハネ教会は、明治7年(1874)創建の、北海道にある英国聖公会の中で最も古い歴史を持つ教会。1979年にできた新しい聖堂は、中世ヨーロッパの教会の工法を用いた近代的なデザインで、茶色の十字形をした屋根が印象的である。建物のいたるところに十字架が見られる。

ヨハネ教会があるチャチャ登りという急坂は、アイヌ語で「おじいさんが腰をかがめて歩く坂」という意味だが、その向かいに聖ハリストス正教会がある。安政5年(1858)日本で最初のロシア領事館が箱館に置かれ、翌年初代ロシア領事は敷地を確保し、安政7年(1860)ロシア領事館の附属聖堂として、日本で最初の正教会の聖堂「主の復活聖堂」が建てられた。翌年来函した青年司祭ニコライが、この聖堂を拠点に日本で初めてロシア正教を布教した。

現在の聖堂は1916年にロシア風ビザンチン様式で再建されたもので、国の重文に指定されている。煉瓦造りの建物は壁を白色の漆喰塗り仕上げにし、屋根は緑色の銅板を用い、屋上には冠型をしたクーポル(ドーム状小塔)が6つあり、それぞれに十字架が添えてある。正面玄関上に聳える八角形の鐘塔には、美しい音色で有名な鐘があり、「ガンガン寺」の愛称で親しまれている。鐘の音は「日本の音風景100選」に認定されている。

聖ハリストス正教会のすぐ下の大三坂に面して、カトリック元町教会が建っている。尖塔上の風見鶏が目印で、元町の代表的風景・教会群の一角を占める。パリ外国宣教会司祭メルメ・カションが安政6年(1859)に設けた仮聖堂、あるいは慶応3年(1867)に来函したフランス人司祭のムニクーとアンブルステルが設けた仮聖堂を起源として、フランス人司祭のマレンが明治10年(1877)に木造の初代聖堂を建立したとされる。初代聖堂は明治40年に火災で焼失したが、明治43年には煉瓦造の二代目聖堂が竣工した。これも大正10年に火災で焼失。焼け残った煉瓦の外壁を使用して大正13年(1924)に高さ33mの尖塔を持つ鐘楼があるゴシック様式の聖堂として再建され現在に至っている。

聖堂内の中央祭壇や副祭壇、両壁にある14景の十字架の道行きは、火事の見舞いとしてローマ法王ベネディクト15世から贈られたものである。聖堂裏には高さ1.5mの聖母マリア像を祀る「ルルドの洞窟」がある。

大三坂の次にある八幡坂の名称は、かつて函館八幡宮があったことに由来する。函館湾を一望できる眺めと坂の両側にある並木の組み合わせが美しく、遠くにはメモリアルシップ摩周丸も見え、函館を象徴する坂として知られる。

坂を見ながら港が丘通りを北西に進むと、左手にブルーグレーとイエローの色が美しい旧函館区公会堂が建っている。明治40年の大火により焼失した町会所の再建として、豪商・相馬鉄平や住民の寄付により明治43年(1910)に竣工した。北海道特有の木造二階建て擬洋風建築、アメリカのコロニアル風洋館で、札幌の豊平館と並んで明治期の洋風建築として知られる。左右対称のポーチを持ち、回廊で結ぶ中央にベランダを配し、左右のポーチにもベランダを持つ。ポーチの袖妻には唐草模様を配し、玄関や回廊を支えるコリント式の円柱の柱頭に洋風の彫刻が施されている。建物の工事請負人は村木甚三郎、和洋融合の建築衣装に優れ、国の重文にも指定されている。

館内にはハイカラ衣装館という貸衣装屋もあり、2階の大ホールで豪華なドレスを着て記念写真を撮ることもできる。

貴賓室の御座所は、皇族が宿泊や休憩に使用した部屋で、ロココ調の椅子は絹織り、つなぎ目は赤紫の玉紐をパイピングしている。テーブル甲板は黒檀、周りは胡桃の木で唐草の彫刻が施されている。床は狂いのこない亀甲張り、外国製の壁紙やシャンデリア、暖炉も用いられ、家具調度の保存状態も非常に良い。

旧函館区公会堂の下は元町公園として整備されている。函館が「はこだて」と呼ばれるようになった由来の場所で、始まりは室町時代に遡る。後に松前藩の初代藩主となる武田信広とともに、津軽からやってきた河野政通が、現在の元町公園と市立函館病院跡地付近に箱型の館を築いたことから「箱館」の名がついたという。江戸時代には箱館奉行所が開かれ、その後も北海道函館支庁庁舎等が築かれるなど、常に函館を司っていた場所である。旧支庁庁舎横には、私財を投げ打って函館の都市形成に貢献した「四天王」、今井市右衛門・平田文右衛門・渡辺熊四郎・平塚時蔵銅像も立っている。

四天王像の左には旧函館支庁庁舎が建っている。色鮮やかなこの洋風木造建築は、明治42年(1909)に建てられ、1982年に修復されている。前面の柱廊玄関のエンタシス風の柱が特徴である。2階の写真歴史館には、日本最古の写真「松前藩勘定奉行石塚管蔵と従者」などが展示されている。

元町公園の東に旧相馬邸が建っている。明治41年(1908)に豪商・相馬鉄平の私邸として建てられた総面積680㎡の和洋折衷の豪邸で、函館を代表する民間建築である。新潟生まれの相馬鉄平は文久元年(1861)に函館に渡り、文久4年に米穀商となって財を築き、後に北海道一の豪商となって、函館発展に寄与した。

元町公園の下の基坂の東側に、旧イギリス領事館が建っている。イギリス領事館は安政6年(1859)の函館開港に伴い称名寺の中に開設された、アメリカ、ロシアに次いで古い領事館である。現在の建物は1913年から1934年まで領事館として使用され、現在は領事執務室などが公開され、開港ミュージアムも併設されている。