半坪ビオトープの日記

トラピスト修道院


女子のトラピスチヌ修道院函館市街地の郊外にあるが、男子のトラピスト修道院函館駅から25kmほど西の北杜市の郊外にある。正式名称は「厳律シトー会灯台の聖母トラピスト大修道院」といい、日本で最初の男子修道院である。修道院へ続くまっすぐな道路脇の杉とポプラの並木は有名だが、ポプラ並木の先にも修道院までまっすぐな歩道が続く。

売店の手前、右手には八角形ドーム型の聖リタ教会が建っている。正式にはカトリック当別教会という。聖リタ教会は大正6年(1917)トラピスト修道院創立者ジェラール・プゥイエ(帰化して岡田普理衛)らにより創立される。カッシーノの聖リタに捧げられた教会で、以来、トラピスト修道院の司祭が司牧している。本来、観想修道会である厳律シトー会の司祭が小教区を司牧することはできないのだが、世界のトラピストの中で例外的に許可を受けている。聖堂はその外観から「まるみ堂」と呼ばれている。女子禁制ではなく、日曜日の朝のミサには誰でも参加できる。平成5年(1993)の奥尻地震で亀裂が入ったため、平成7年(1995)に再建された。
丸窓は十二使徒のステンドグラスとなっている。

売店前の公園には、三木露風の詩碑がある。
「日は輝かに 沈黙し 時はおもむろに 移り行けり 美しき地上の 断片の如く 我命は 光の中に いきづく」
童謡「赤とんぼ」の作詞者として知られる三木露風は、30代の初め頃、プゥイエ院長の招きで当院の文学概論、美学論などの講師として夫人と共に4年間を当別で過ごし、その間に夫婦で受洗してカトリック信者となった。また、男爵イモの開発者として知られる川田龍吉男爵も、晩年に当別教会にて、D.ベネディクト大修道院長によって洗礼を授けられた。

ここの売店は、トラピストバターやクッキーが有名で、そのバターを使ったソフトクリームは濃厚で格別に美味しい。聖リタ教会と売店の前から修道院に向かうとき振り返ると、整然とした杉とポプラの並木が眺められる。

トラピスト修道院は、明治27年(1894)当時の函館教区教区長A.ベルリオーズ司教がトラピスト会総長に日本に創立の可能性を打診したのが始まりである。信徒により当別の原野が寄進され、明治29年には9名の修道士の来日をみて、開院式が開かれ正式に創立された。翌年ノルマンディー地方にあるブリックベック修道院の副院長であるジェラール・プゥイエが修道院長として着任した。女子トラピスチヌ修道院天使園の創立はその翌年である。
正門は飾りのついた格子扉で閉ざされているが、事前に申し込んだ男性を除いて、ここから中に入ることはできない。

格子扉の合間から本館がなんとか見えるのだが、やはり格子が邪魔して見辛い。

格子に張り付いてかろうじて写真を撮った。新聖堂は昭和49年(1974)に落成した。

正門内の左側に資料室があり、修道院内の見取り図や作業の様子、創立当時の様子や沿革などの紹介もある。修道院の敷地の左手奥の山の上にあるルルドの聖母や、そこからの展望の写真もあるので助かる。

トラピスト修道院の沿革を読むと、その起源は古く、11世紀に遡るという。

正門の前を左に進む道があり、受付に至る。この道からは正門と本館を同時に眺めることができる。

受付脇の門から中を覗いてみただけでは、修道院内の生活はわからないが、祈りと労働を中心とした自給自足の厳しい生活を送るには、共同生活ができる身体的・精神的健康が求められるという。

受付脇の道を左に進む道があり、緑豊かな牧草地も見えるが、ルルドの聖母のある山の上は遠そうなので諦めた。