半坪ビオトープの日記

トラピスチヌ修道院


函館市街地の東の郊外にトラピスチヌ修道院がある。正式名称は「厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院」という、トラピスト会(厳律シトー会)の女子修道院であり、男子禁制である。
門を入って最初に出迎えるのが、フランスから贈られた大天使・聖ミカエルの像である。日本に初めてキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルは、天文18年(1549)に鹿児島に上陸し、薩摩藩主である島津公に宣教の許可を受けたが、その日がちょうど聖ミカエルの祝日である9月29日だったので、ザビエルは聖ミカエルを日本の守護者と定めて、その助けを求めつつ宣教を始めたといわれる。

トラピスチヌ修道院は上湯の川の高台に位置し、通称、天使園とも呼ばれる敷地内の凛とした空気感は、訪れる人の気持ちを引き締める。美しいレンガ造りの聖堂を正面に見ながら歩を進めると、純白の聖母マリアの彫像が待ち受けている。フランスにあるラ・トラップ修道院のマリー・ベルナルド神父の作品で、両腕をゆったりと広げてすべての人を優しく迎え入れる姿から、「慈しみの聖母マリア」と呼ばれ、親しまれている。
聖母マリアの右手の建物は、資料館及び売店である。資料館には修道院の歴史や修道女の日常生活に関する資料が展示され、売店では修道女の祈りと労働の実りを分かち合う、手作りのマドレーヌやクッキーなどの菓子や手工芸品などが販売されている。

聖母マリアの左手には、旅人の聖堂と呼ばれる12角形の小さな聖堂が建っている。巡礼の人が静かに祈ったり、瞑想のひと時が過ごせるようにと、2000年の大聖堂を記念して造られた。聖堂内には祭壇も設えられ、ミサを捧げることもできる。

トラピスチヌ修道院は厳律シトー修道会というローマ・カトリックの修道会に属しているが、シトー修道会は1098年にフランスのシトーという人里離れた荒れ野で、「聖ベネディクトの戒律」を徹底的に生きたいと望む修道士たちにより創立された。その「聖ベネディクトの戒律」とは、6世紀にイタリアのベネディクト修道院長によって修道者のために書かれた厳格な戒律で、今でも多くの修道会が規範としている。函館のトラピスチヌ修道院は、フランスのシトー修道院創立から800年後の明治31年(1898)に、当時の函館教区長だったベルリオーズ司教の尽力で、フランスから派遣された8人の修道女によって創立された。昭和10年(1935)には兵庫県西宮に、昭和28年(1953)には佐賀県伊万里に、昭和62年(1987)には韓国に修道女を派遣して女子修道院を創立している。

敷地の左手奥には、南フランスにあるルルドの洞窟を模して造られた「ルルドの聖母」がある。1858年に聖母マリアが18回にわたってルルドの近くのマッサビエルの岩窟で、14歳の田舎娘ベルナデッタ・スビルーに現れ、ベルナデッタが聖母マリアのお告げに従い掘り当てた泉が、様々な病気の治癒をもたらしたという言い伝えに基づく。聖母マリアを見上げて跪いているのがベルナデッタである。

修道院の建物の左手に、フランスから1936年に送られた、聖テレジアの像が立っている。カルメル会修道女として徳を磨き、「私が天に昇りましたら、地上にバラの花を降らせましょう」という最後の言葉から、胸に抱いた十字架にはバラの花が飾られている。

正面左手の建物は大正2年(1913)に建てられた司祭館である。修道女の信仰生活を指導するために、男子のトラピスト修道院や、司教の任命によって、司祭方が派遣されている。

司祭館の右側の丸みを帯びた壁のところが、この修道院の中心の聖堂である。ここで毎日、ミサと7回の共同体の祈りが捧げられている。屋根の上にある小さな塔は鐘楼で、ミサや共同体の祈りの始めに、また仕事の終わりの時刻などに大小2つの鐘が鳴らされる。
丸い聖堂の壁には、フランスから贈られた聖女ジャンヌ・ダルクの像が立っている。15世紀の百年戦争フランス軍と共に戦い、不正な宗教裁判で処刑されたが、死後に無罪が判明して名誉が回復され、聖女とされ、修道女のシンボルとして敬われている。聖堂の手前右手に伸びる煉瓦の塀にある小さな門は「入会者の門」と呼ばれる。修道会に入会を認められて最初に潜る門で、この先に修道院の正面玄関がある。

修道院の建物の前には桜の花が満開に咲き誇っていて、そこで記念写真を撮る人がたくさんいた。