半坪ビオトープの日記

フルヴィエールの丘、ノートルダム大聖堂


フルヴィエールの丘はリヨン市内のほとんどの場所から見ることのできる小高い丘で、丘の上にはノートルダム大聖堂古代ローマ劇場があり、旧市街からケーブルカーで上ることができる。

山頂駅前にはフルヴィエールのノートルダム大聖堂が建っている。パリのサクレ・クール寺院同様、1870年のリヨン・コミューンにおける、社会主義勢力に対するキリスト教勢力の勝利の象徴となっている。ピエール・ボッサンの設計によるバシリカ式教会堂で、1872年から1896年にかけて建てられた。ロマネスク建築とビザンチン建築の二つの建築様式の特徴を備えている。

ノートルダム大聖堂は、実際には2つの教会からなり、上側のサンクチュアリはたいへん装飾的であるが、下側は非常に簡素なデザインである。1643年のペスト流行からリヨンの街が救われたことを感謝して小さな教会堂が建てられ、19世紀中頃には200周年を記念して金の聖母マリア像が捧げられた。壮大な聖堂の内部は、金箔や大理石、モザイクとステンドグラスでまばゆいばかりに飾られている。

聖堂内部には大きなモザイク画がいくつも並んでいる。こちらは「エフェソス公会議」。エフェソス(Ephesos)は、エーゲ海に面した小アジアギリシア人の都市。431年、東ローマ帝国皇帝テオドシウス2世がキリスト教公会議を開催し、聖母マリアを「神の母」と呼ばず「キリストの母」と呼ぶことによってキリストの人性説を掲げるネストリウス派を異端と断定して、三位一体説を強化した。

こちらのモザイク画は「聖ポティヌスのリヨンへの到着」。「映画の父」として知られるリュミエール兄弟や「星の王子様」の作者サン=テグジュペリを輩出したリヨンの起こりは紀元前43年といわれ、ローマ帝国期には「ルグドゥヌム(ルゴス神の丘)」と呼ばれていた。その後、ガリア民族の神とローマの神が混ざり合った形で信仰されていたが、177年にはリヨンの最初の司教・聖ポティヌス(POTHIN)がこの地で殉教し、ガリア民族で最初の殉教者となった。

こちらのモザイク画は「レパントの海戦」。1571年10月7日、ギリシアのコリント湾口のレパント沖で、教皇・スペイン・ヴェネツィアの連合海軍はオスマン帝国海軍との海戦で勝利した。西ヨーロッパ史において初めての大海戦でのオスマン軍に対する勝利であり、ガレー船主体の大海戦の最後といわれる。

こちらのモザイク画は「オルレアンを解放するジャンヌ・ダルク」。フランス東部の農家の娘として生まれたジャンヌは、1337年に勃発したイギリスとの百年戦争で、1429年5月初旬に陥落寸前のオルレアンに参戦し、劣勢をはねのけ勝利しオルレアンを解放した。その後数々の勝利を収め、後のフランス王シャルル7世の戴冠に貢献した。だがその後ジャンヌはブルゴーニュ公国軍の捕虜となり、身代金と引き換えにイングランドへ引き渡され、異端審問にかけられて火刑に処され19歳の生涯を閉じた。死去25年後に復権裁判で無実と殉教が宣言され、その後フランスの守護聖人の1人となった。

こちらのモザイク画は「無原罪の御宿りの教義決定」。1854年12月8日、ピオ9世教皇は、聖母マリアが受胎の瞬間から原罪のあらゆる汚れから免れていたとする教義を宣言した。カトリック教会においては、聖母マリアは、神の母、処女懐胎、無原罪の御宿り、聖母被昇天の四つの教義が決定されている。このうち始めの二つは古代に決定されたものだが、後の二つは近世になってから決定されたもので、ローマ・カトリック以外では認められていない。ちなみに聖母被昇天は1950年、ピウス12世によって決定された。

こちらのモザイク画は「ルイ13世誓願」。1638年2月10日、世継ぎに恵まれなかったルイ13世は、子供が生まれたらフランス王国聖母マリアに捧げますと誓いを立て、世継ぎ誕生を祈願した。誓願のおかげか、7ヶ月後にはめでたく王子が生まれ、やがてルイ14世となった。

聖堂に入ってすぐ振り返ると見えるのは、ヴィクトール・オルセル(1795-1850)が描いた「コレラから救われたリヨン」。1830年代にヨーロッパを襲ったコレラはここリヨンでも多くの死者を出した。だが、聖母マリアを奉じるこのフルヴィエールの丘の上は、その災禍をまぬがれた。ライオンはリヨンのシンボルである。先ほどのモザイク画「聖ポティヌス」が177年に殉教した際、彼はライオンに食い殺されたといわれる。

地下聖堂(クリプト)には、サンチャゴ巡礼のモザイク画がある。中央に聖ヤコブ(サン・ジャック)の巡礼姿、背後には聖ヤコブの生涯や巡礼で訪れた地中海沿岸の教会の数々が描かれている。衣に描かれる帆立貝は、巡礼時に首にかけていたもので、漁師であった聖ヤコブの象徴となっている。

同じく地下聖堂には、洗礼者聖ヨハネ(サン・ジャン)が幼子イエスを抱く彫像もある。

ノートルダム大聖堂のバシリカは、主要な塔4基、鐘楼1基を備え、最上部に金色の聖母マリア像を頂く。4つの塔にはそれぞれ「力」「慎重」「正義」「節制」という名前が付けられている。

特定の時間にはバシリカの北塔に上ることができ、そこにはリヨンの街とその郊外の眺望が180度開けている。

大聖堂のバシリカ入口にライオン像がある。よく見ると翼がある。有翼のライオンといえばヴェネツィア守護聖人・聖マルコを表す「有翼の獅子」がヴェネツィアの象徴とされているが、それは大げさに羽ばたいているので、このライオン像は由来が違いそうだ。

ノートルダム大聖堂の裏手にはメゾン・テレーズ・クデル教会(Maison Thérèse Couderc Le Cenacle)というカトリックの教会が建っている。