半坪ビオトープの日記

ボルゲーゼ美術館、スペイン階段


昨年の暮れから年初にかけて、イタリアのローマやフィレンツェ、フランスのリヨンなどを旅行した。月日が経ってしまったが、写真を見ながら記憶を辿っておきたい。
ローマには夜に着くので宿はテルミニ駅近くにした。通りは工夫を凝らしたイルミネーションで彩られ、年末年始を祝う雰囲気に満ち溢れている。右奥のサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂もライトアップされ、夜空に輝く尖塔が美しい。「偉大な聖母マリアの聖堂」というこの大聖堂は、マリア聖堂の中で最大で最重要な聖堂とされる。

イタリア初日の夜はピザにする。食に細かい息子が美味しい店を探してくれるので助かる(かなり歩くことが多いが)。これは「Galilei」という Pizzeriaの店名のピザ。ポモドーロ(トマトソース)、モツァレラ(チーズ)、フンギ(キノコ)、生卵、アーティチョーク、オリーブに生ハムを載せて焼き上げている。

こちらは「フンギ(Funghi)」というキノコのピザ。ポモドーロとモツァレラの上にフンギ(マッシュルーム)がたっぷり載っている。

こちらは「ビアンカ(白)アル サルモーネ」というサーモンの上にモツァレラがたっぷりと載っているピザ。どれもローマ風の薄い生地に、具材は生地ギリギリまでたっぷり載っていて、まさに具材を味わうピザといえる。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は、教皇が建築させたローマの四大バシリカ古代ローマ様式の聖堂)の一つに数えられる。四大バシリカとは、このほかサン・ピエトロ大聖堂、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(城壁外の聖パウロ大聖堂)である。サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は、古代キュベレ神の神殿があった場所に築かれた。数回にわたる改修と1348年の地震に伴う崩壊の危機を乗り越え、ローマのバシリカ様式の聖堂では、唯一原構造を残している貴重な建物である。

ローマ市内には、古代遺跡のほか美術館や博物館など見学したい場所がたくさんあるが、とりあえず観光初日はボルゲーゼ美術館バチカンを目指す。サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂から北北西に向かって通りを進むと、サンタ・スザンナ教会のバロック期のファサードが目につく。サン・ピエトロ大聖堂も設計したカルロ・マデルノのデザインで、1603年に完成した。教会自体はローマのアメリカ合衆国の教会となっている。

そのすぐ先にある左の建物は、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会で、右はフェリクス水道の泉である。ローマ教皇シクストゥス5世が修復・再建したフェリクス水道の末端施設として、建築家のドメニコ・フォンターナにより1585年から1588年に造られた。中央にはモーゼ像が立ち、モーゼの噴水とも呼ばれる。

ピエモンテ通りをまっすぐ北上してボルゲーゼ美術館に向かうと、アウレリアヌス城壁に突き当たる。この城壁は、271年から275年、ローマ皇帝アウレリアヌスとプロプスとの治世の間に防衛のためローマを囲むように造られたもので、全周19kmで、13.7平方kmの領域を囲んでいる。壁はローマン・コンクリートをレンガで覆う形で造られ、厚さは3.5m、高さは8mである。紀元500年には383の塔、7,020個の挟間胸壁の凹凸、18の大門、5つの通用口、116の公衆便所、2,066の大窓があったという。

アウレリアヌス城壁をくぐり抜けるとボルゲーゼ公園にぶつかる。塀に沿って東に進むとボルゲーゼ美術館入口に至り、朝日に眩しく輝く美術館が見える。予約時間15分前に到着。

ボルゲーゼ美術館にはボルゲーゼ家歴代の美術コレクションが数多く展示されている。ボルゲーゼ家はシエナ出身の貴族で、教皇パウルス5世を出した名門である。建物は枢機卿だったシピオーネ・ボルゲーゼが夏の別荘として建てたもので、1616年頃完成した。19世紀初頭、ナポレオン・ボナパルトがボルゲーゼ家の多くの美術品をフランスに持ち出し、ルーブル美術館に移してしまうという事件があったが、それでもなお当館にはルネサンスバロック期のイタリア美術の優品が数多く伝えられている。

主な収蔵品として、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの『アポロンとダフネ』(1622)、『プロセルピーナの略奪』(1621)、『ダヴィデ』(1624)などの迫力ある彫刻、ラファエロの『一角獣を抱く貴婦人』(1506)、『キリスト降架』(1507)、ティツィアーノの『聖愛と俗愛』(1515)、コレッジョの『ダナエ』(1531)などの絵画が数え切れないほどあり、その出来栄えの見事さに圧倒される。『ボルゲーゼのヘルマプロディートス』も必見の作品である。しかし、館内は全て撮影禁止なのでパンフの切り抜きを一つだけ載せる。カルヴァッジョ作の『果物籠を持つ少年』(1594)。

ボルゲーゼ美術館はボルゲーゼ公園の一角にあるのだが、この公園は80ヘクタールの広大なイギリス式庭園で、ローマではドリア・パンフィーリ公園に次ぐ広さを誇る。公園入口に立つ鷲の像は、ボルゲーゼ家の紋章に使われているものである。

ボルゲーゼ公園から南西に向かうとスペイン広場の上のスペイン階段に出る。階段の上から広場の先(西)を眺めると、遠くにサン・ピエトロ大聖堂のクーポラ(ドーム)が認められる。ミケランジェロが設計したクーポラで、エレベーターと320段の階段を上がれば、高さ約120mの展望台からサン・ピエトロ広場などバチカンの絶景が一望できるので、体力と時間のある方にはお薦めする。

スペイン階段の上には「トリニタ・デイ・モンティ教会」が建っている。16世紀にフランス王ルイ12世の命により建立された教会。現在もフランス人神父によりフランス語のミサが行われている。2本の鐘楼が印象的なフランスのゴシック様式で、内部ではダニエーレ・ダ・ヴォルテッラの『降架』などが見どころ。教会の名は「丘の上の三位一体教会」を示す。
138段のスペイン階段は、1717年に建築家のフランチェスコ・ディ・サンクティスとアレッサンドロ・スベッキにより設計された。
スペイン広場の中央にある噴水は、舟の噴水(バルカッチャの噴水)と呼ばれ、彫刻家のジャン・ロレンツォ・ベルニーニにより1629年に造られた。広場の名は、間近にあるスペイン大使館にちなんで命名された。スペイン階段は、映画『ローマの休日』でヘプバーン扮する王女がジェラートを食べたシーンで知られるが、保全のため現在、ここでの飲食は法律で禁じられている。

北のポポロ広場方向を見やると、すぐ次のミニャネッリ広場に立つ「無原罪の聖母マリア柱」が目に入る。この巨大なコリント柱は、教皇ピオ9世による無原罪のお宿り教義宣言から3年後の1857年に建立されたものである。