半坪ビオトープの日記

サンタ・マリア・アンジェリ教会、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂


バルベリーニ宮殿から共和国広場へ戻る途中、ベージュの濃淡の横縞模様がユニークな教会がある。19世紀の終わりにコスモポリタンな教会としてローマの中心地に誕生した、セント・ポールズ・ウィズイン・ザ・ウォールズ教会という。通称「ローマのアメリカンチャーチ」と呼ばれ、世界の有名人も憧れる安らぎの場としても知られ、高い天井の響き渡るパイプオルガンの音色も美しく、大理石の回廊にバラ窓のステンドグラスから差し込む七色の光に祝福されて行う結婚式が、華麗でしかも荘厳そのものと人気があるそうだ。

共和国広場の中心にはナイアディの噴水がある。元市長のフランチェスコ・ルテッリの曽祖父でパレルモ出身のマリオ・ルテッリによる。ナイアディとは、ギリシア神話に登場する妖精(ニュンペー)で、この泉では「湖の妖精」「川の妖精」「大洋の妖精」「地下水の妖精」が表現されている。広場の向こう側に見える建物は、サンタ・マリア・デリ・アンジェリ・エ・ディ・マルティーリ教会である。ディオクラティアヌス帝が造った大浴場の翼廊を利用して、ミケランジェロの設計で立て直されたといわれる教会だが、彼はすでに86歳の高齢だったため完成を見ずに亡くなった。最終的には18世紀半ばにルイージ・ヴァンヴィテッリにより完成した。マルティーリとは殉教者という意味である。

この教会はイタリア政府の教会なので、国葬を行う場合は必ず、この教会で行われる。正面の扉は、ポーランドの彫刻家、イゴール・ミトライの2006年の作品で、ブロンズ製。扉の重さは、二つ合わせて3トンもある。右側の扉は受胎告知を表し、大天使ミカエルが聖母マリアに神の子を宿したことを伝えている。左の扉には、人間の罪のあがないに十字架上で苦しみを受けたキリストの姿がある。このキリストは力強くて、十字架上の死を超えた復活を表している。キリストの左下には、ミトライお得意の包帯に巻かれた頭部と手のひらの彫刻があり、他の殉教者を表している。

教会の中に入ってすぐ左にある聖ペテロ礼拝堂には、洗礼者聖ヨハネの頭部の彫刻がある。この彫刻もイゴール・ミトライの2006年の作品である。カッラーラの大理石を使っている。

内部は縦と横の長さが同じ、ギリシア正十字形となっている。ローマの教会はほとんど縦長のラテン十字形なので、横に長く伸びる回廊が特徴的で広く感じる。ここが中央祭壇の入り口である。

ここが中央祭壇の正面である。堂内には祭壇画が随所に展示されている。多くはサン・ピエトロ大聖堂から移設されたという。

翼廊の礼拝堂にある大きなパイプオルガンも趣向が凝らされている。天井も非常に高く、堂内随所に立っているローマの赤御影石も美しい。だが、この教会で最も有名なのは床に施された日時計と子午線といわれるが、堂内の広さと天井の高さに気を取られて見逃してしまった。

公共浴場跡やローマ国立博物館へ通じる出口のところは中庭になっているが、そこにも現代のものと思われる彫刻が見られた。

丸二日のローマ市内観光の終わりに、ホテル近くのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に立ち寄った。サンタ・マリア・マッジョーレ(聖母マリアの聖堂)という名称には二つの意味がある。一つは世界の聖堂の中でも特に重要な教会、まさに母なる教会ということ。第二にカトリック信仰において古代より尊重されてきた聖母マリアへの崇敬を表す聖堂であるということ。世界中に聖母マリアに捧げられた聖堂があるが、その中で最大のものがこのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂である。
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の創建は356年の夏で、法皇リベリウスが見た夢のお告げ「数日のうちに雪が降る地に聖堂を建てよ」によるものといわれている。
北西側のこちらは、エスクイリーノ広場から見た大聖堂の後陣である。

アヴィニョン捕囚からローマ教皇がローマに戻った後、ラテラノ大聖堂が荒れ果てていたため、一時的にサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂が教皇宮殿として用いられていた。のちにバチカン教皇宮殿が造られ、教皇はそこに移って現代に至っている。1929年に結ばれたラテラノ条約によって、イタリア政府は、バチカン市国外であってもサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂におけるバチカンの特別な権利を認めている。
サンタ・マリア・マッジョーレ広場から見る大聖堂の正面は、18世紀に作られた柱を多用したファサードの上に彫刻が施され、右奥には15世紀に造られた鐘楼が高く聳える。

大聖堂の内部は3身廊に仕切られ、中央廊は36本の大理石の柱で仕切られている。壁面の彫刻やモザイクも天井画も厳かに設えられている。金色に輝く格子天井の枡から、毎年8月5日のミサでは雪に見立てた白い花びら「真夏の雪」がまかれるそうだ。

主祭壇は、フェルディナンド・フーガ作の荘厳な天蓋で覆われている。祭壇下には、ベツレヘムでキリストが誕生の際に眠ったといわれる「飼い葉桶の木片」が聖遺物として収められている。主祭壇の手すりの外側の床には、バロック最大の巨匠でローマで活躍したバルニーニの墓がある。
主祭壇の左手奥の後陣のアーチ(四角い祭壇画の上の薄暗い円形の中)には、13世紀末のローマで名高かったヤコポ・トッリティ作「マリアの戴冠」という優美で色彩豊かなモザイクがある。13世紀に法王ニコラス4世は創建当時の後陣を取り壊し、新たに後陣と左右に翼廊を増築させた。この後陣のモザイクはその時、5世紀創建当時のモザイクの断片を集めて作ったとされる。

ここは洗礼堂。正面には聖母被昇天のレリーフがある。

大聖堂の翼廊には、豪華なシスチーナ礼拝堂とパオリーナ礼拝堂があるのだが、残念ながら撮影禁止であった。堂内には随所に祭壇画があり、また中央廊の列柱上部の5世紀のモザイクなどもあるので時間があればゆっくり見学したいものだ。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂だけでなく、大晦日のローマの夜は随所でライトアップが行われて町中が美しく彩られていた。