半坪ビオトープの日記

アカデミア美術館、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)


ミケランジェロの代表作の一つ、「ダヴィデ像」はアカデミア美術館にある。アカデミア美術館の発祥は、16世紀にフィレンツェ美術学校が設立されたことが始まりである。創設者は当時のフィレンツェの実質的な支配者であり、芸術家のパトロンとして知られるメディチ家のコジモ1世で、自ら初代総裁に就任した。1784年トスカーナ公レオポルドによって美術館が設立され、美術学校の資料館的な役割を果たした。1874年、ヴェッキオ宮殿前に設置されていた「ダヴィデ像」が、劣化による損傷を防ぐ目的で美術館に移設された。「ダヴィデ像」はミケランジェロ(1475-1565)が1501年から制作を開始し、1504年に公開した彫刻で、元来はフィレンツェ市庁舎の置かれたヴェッキオ宮殿前に設置されていた。ダヴィデとは、旧約聖書においてイスラエル王国の2代目の統治者。大理石で身の丈5.17mに象られたこの像は、ダヴィデが巨人ゴリアテとの戦いに臨み、岩石を投げつけようと狙いを定めている場面を表現している。ダヴィデ像は人体に関する正確な知識に基づいた芸術的規律に沿って作られているのだが、下から見上げることを計算に入れて頭と上半身が大きめに作られている。歴史上のダヴィデ王はユダヤ人なので割礼を受けていたはずなのに、このダヴィデ像には割礼の跡がないために、この像が聖書に基づくものと見なされるかという論争が長く続き、諸説の理由が挙げられた。その中では、ルネサンス当時は古代ギリシアの美学的理想を追求していたので、古代ギリシアの多くの彫刻の例に倣っただけだろう、という説が妥当だと思われる。

1階にはそのほかにも彫刻が多数展示され、2階には14・15世紀の絵画や、メディチ家の楽器などのコレクションが展示されている。こちらはジョットの弟子として1320~1348年に活動が確認されるベルナルド・ダッディの「磔刑図と受難の物語」。以前はジョット派の作品とされていたが、近年はベルナルドの後期の作品だとされている。

この祭壇画は、ヤコポ・ディ・チオーネ(1365-98記録)の「聖母戴冠」。ヤコポは画家一家の4男として生まれ、長兄アンドレアが有名なオルカーニャの通称で知られる。ナルド、マッテオの兄二人も画家で、オルカーニャ存命中は兄弟合作がほとんどだったが、オルカーニャが1368年に死去した後は、工房をヤコポが引き継いだ。

こちらはヤコポ・ディ・チオーネの「幼児虐殺」。幼児虐殺とは、新約聖書の『マタイによる福音書』にあるエピソードで、新しい王(イエス)がベツレヘムに生まれたと聞いて怯えたユダヤの支配者ヘロデ王ベツレヘムで2歳以下の男児全てを殺害させたとされる出来事、嬰児虐殺ともいう。キリスト教では、伝統的にイエスのために命を落とした最初の殉教者とみなしてきた。ルーベンスが何度も画題としている。

アカデミア美術館のすぐ後ろにサン・マルコ美術館がある。元は12世紀に建てられた修道院。ギルランダイオの「最後の晩餐」やフラ・アンジェリコの「受胎告知」が有名だが、残念ながら午後は休館だった。

その後、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)に立ち寄る。雨模様だったため外観は撮らなかったので、翌日撮った写真を載せる。大聖堂正面の右側にジョットの鐘楼が建ち、手前に八角形の大聖堂付属サン・ジョヴァンニ礼拝堂が建っている。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)の内部は大変広く、祭壇にはベネデット・ダ・マイアーノ作(1490)の「十字架上のキリスト像」が安置されている。兄のジュリアーノが依頼された、この大聖堂聖具室の寄木細工の大部分を作成した。

大きなクーポラ内部の天井画は、ヴァザーリやその弟子たちにより16世紀後半に描かれた「最後の審判」で、ここでは8時の方向にキリストが、その下に聖母マリアが描かれている。

出口付近に地下遺跡への降り口がある。地下遺跡は旧聖堂のサンタ・レパラータ教会の跡で、クーポラの設計者ブルネレスキの墓や地下礼拝堂のほか、床のモザイク跡も残されている。

サン・ジョヴァンニ礼拝堂は、大聖堂関連の三つの建物のうち最古のロマネスク建築で、11世紀に起工され、屋根部分全体は1128年に、頭頂部のランターンは1150年に、司教座のある内陣は1202年に完成した。黄金色に輝く内部の天井画は13世紀のビザンチン風モザイク画で、守護聖人聖ジョヴァンニ(洗礼者ヨハネ)の生涯と「最後の審判」が描かれている。
洗礼堂の八角形の天井をよく見ると、縦8つの三角面(正確には台形面)に区切られていて、頭頂部は図柄で装飾され、その下の7つの各面には2人の天使を配し、巨大なキリストの上の面には熾天使に囲まれたキリストが配され、巨大な「復活したキリスト」は世界を表す円環の中で審判を下している。天井画の下の窓の周りには、トスカーナのロマネスクの特徴の一つである白い大理石と、プラートの緑大理石が織りなす独特の模様が施されている。
巨大なキリストと両隣の3段構成の台形面を除いた、二人の天使の段の下の4つの段には向かってキリストの右から左へ時系列で物語が展開する。最上段が創世記、2段目が旧約聖書からヨセフの物語、3段目がイエスの生涯、4段目が先例者ヨハネの生涯となっている。下から2段目となるイエスの生涯は「受胎告知」から始まり、ちょうど「磔刑」、「哀悼」、「イエスの復活」と最終場面がこの写真でも認められる。

巨大なキリストのすぐ両隣の3段構成の台形面には、上段に天使の群像、中段に聖人の群像、下段の向かって左に天国、向かって右に地獄が描かれている。

創世記の段(二人の天使の段の下)は「天地創造」から「アダムの創造」、「イブの創造」、「リンゴを食べ」、「楽園追放」と続く。この写真の左端が「楽園追放」の場面であり、「苦しい生活」が続く。最下段の台形の左端は、ヨハネがイエスに洗礼する場面である。

巨大なキリストの下、後陣の主祭壇にはイエス磔刑像が安置されている。アプシスの天井には不思議な円陣模様と人物像がモザイク画で描かれ、後陣の壁面は白大理石と緑大理石が織りなす幾何学的模様が施され、全体が厳粛な雰囲気に包まれている。

堂内の一角に、教皇ヨハネ23世の荘厳な墓碑がある。ドナテッロ、ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ、パーニャ・ディ・ラーポ・ポルティジャーニが1425年から1428年にかけて制作した。