セビリア大聖堂の南西、郵便局の裏手に瀟洒な建物がある。救済病院(Hospital de la Caridad)という。有名な放蕩児ドン・ファンのモデルとされるセビリアの貴族ミゲル・デ・マニャーラ(Miguel de Man~ara)が1664年に、貧しい人や身寄りのない人を救済するために創設した病院である。設計はセビリアの建築家:ペドロ・サンチェス・ファルコネテによる。
風変わりな入口から中に入ると、パティオ(中庭)には十字架を背にした彫刻のある噴水がある。そのパティオの周りを、白とオレンジ色を基調とした特色ある建物が取り囲んでいる。
壁には青白の陶器による17世紀のタイルによって「十字架を運ぶイエス」などの題材が描き出され、キリスト教会らしい光景が広がる。
救済病院に付属する教会があるというより、公開されているのはもっぱら教会なので、あちらこちらに祭壇画が展示されている。これはスルバランの「イエスの磔刑(1652)」である。
建物の合間の小庭には、救済病院の創設者ミゲル・デ・マニャーラの銅像が高くそびえている。
教会内部の主祭壇には、祭壇画「キリスト磔刑」の下に立体的な彩色彫刻が施されている。
下の彫刻は、セビリア生まれの彫刻家:ペドロ・ロルダン(Pedro Roldan)作の「キリストの埋葬」。よく見ると、キリストの左手に、頭にターバンを巻いたアラビア系の人がいる。
祭壇全体を小さな天使たちが健気に力一杯背負っている。
上の絵は、ムリーリョの「サンペドロの解放」。下の絵は、ムリーリョの「ハンガリーの聖イサベル(Santa Isabel de Hungría)」。
この絵は、セビリア出身の画家:バルデス・レアル の「世の栄光の終末(Finis Gloriae Mundi)」。バルデス・レアル (Juan de Valdes Leal)は、1660年、ムリーリョとともにアカデミーを開設したが、性格、作品ともに両者は対照をなす。マネから「画家の中の画家」と絶賛され、「生の悲劇的感情」の表現様式としてのスペイン・バロック絵画を代表する画家である。
この絵は、バルデス・レアルの「束の間の命(In Ictu Oculi)」。彼は、美よりも表現性を尊び、「残酷なまでのレアリスム」を追求したといわれる。
上の絵は、ムリーリョの「アブラハムと3人の天使」。下の絵は、ムリーリョの「病人を運ぶサン・ファン・デ・ディオス(1672)」。ムリーリョは、19世紀末にベラスケスが再評価されるまで、国内外でスペイン最大の画家として名を馳せていた。
上の絵は、ムリーリョの「放蕩息子の帰還」。下の絵は、ムリーリョの「受胎告知」。ムリーリョは、マリア礼賛が異常な高揚期を見せた時代に、スペイン民衆の心を捉えた宗教画家といわれる。
上の絵は、ムリーリョの「麻痺の治癒」。ムリーリョは、17世紀中期から後半にかけて活躍したセビリア派の巨匠で、作品の多くは宗教画だが、総数は約300点が確認されている。
下の彫刻は、救済病院の創設者ミゲル・デ・マニャーラが、ペドロ・ロルダンとベルナルド・シモン(Bernardo Simón de Pineda)に依頼して作成された「受難の中のキリスト(Retablo del Santo Cristo de la Caridad)」。
この絵は、ムリーリョの「岩山から水を噴出させるモーセ(Moises hace brotar agua de la roca)」。このように宗教画には、旧約聖書から題材を取ることが圧倒的に多い。
こちらは、ムリーリョの「パンと魚の繁殖」。残念ながらこれら作品の多くは、本物が美術館に移されて、レプリカとなっている。
こちらは、彫刻家:ベルナルド・シモン作の「慈悲の聖母(Retablo Virgen de la Caridad)」。