半坪ビオトープの日記

ウフィツィ美術館、ラファエロ他


ボッティチェリの次に、初期フランドル派フーゴー・ファン・デル・フースの代表作「ポルティナーリ家の三連祭壇画(1475)」が並ぶ。ヤン・ファン・エイクに代表される北方ルネサンスの初期フランドル派は、イタリアルネサンスとほぼ同時期に発生したが、その影響を受けることはなかった。逆にこのファン・デル・フースの「ポルティナーリ家の三連祭壇画」はイタリアの画家を驚かせた。一つは中央パネル一番手前に描かれたガラスの花瓶で、その透明感は油彩でしか表現できないが、当時のイタリアにはその油彩の技法がまだ確立されていなかった。第二点は、右上方に描かれた、キリスト誕生を礼拝する3人の羊飼いの描写だった。無精髭を蓄え、労働着に身を包み、汗の匂いさえするような自然で写実的な描写だった。当時のイタリア絵画の特徴は無表情の人間を描くことにあったので、羊飼いたちの人間味溢れる豊かな表情が衝撃を与えたのである。だが1483年に作品がフィレンツェで公開されたのは、ファン・デル・フースの死後だった。彼は絵のモデルだった尼層との関係で1480年ごろに精神錯乱に陥り自殺未遂をして、1482年に亡くなっている。

こちらはドメニコ・ギルランダイオの「玉座の聖母子と天使と聖人たち(1479頃)」。フィレンツェの伝統に沿った作品で、多くの登場人物はギルランダイオの物語表現を示している。肖像画家としても優れていた彼は、フランドル派の新傾向にも敏感だったので、背景の糸杉やミカン、ハイビスカスなどの描写に影響が見られる。聖ミカエルの鎧のメタリックな光沢は金を使用せず、この画家が発明したといわれる新テクニックを使って絵の具だけで描いたものである。

こちらはティツィアーノ・ヴェテェッリオの晩年の作品、「ヴィーナスとキューピッドとヤマウズラ」(1550)。ティツィアーノは、盛期ルネサンスヴェネツィア派で最重要な画家の一人である。絵画技法は筆使いと繊細な色彩感覚に特徴があり、近代西洋絵画に大きな影響を与えた。後期にはローマを訪れ、当館所蔵の「ウルビーノのヴィーナス」やプラド美術館所蔵の「ヴィーナスとオルガン奏者とキューピット」などヴィーナスの絵画も多く描いているが、精緻な肖像画も数多く描いている。

こちらは第45室に展示されているドイツルネサンスの重要な画家、ルーカス・クラナッハ(1472-1553)の「アダムとイブ(1528)」の「イブ(エヴァ)」。

クラナッハは、本作以外にも同主題で17点もの作品を描いているが、その中でも特にイタリアルネサンスの影響が強く現れている作品。

この彫像は、バチカン美術館に展示されていたラオコーン像のレプリカである。バチカン美術館の彫像は撮り忘れていたのでここで載せる。作者・制作年は不明だが、古代ギリシアの大理石製の彫像。ギリシア神話トロイア戦争で神官ラオコーンは女神アテナの怒りを買い、女神によりその二人の息子とともに海蛇に巻きつかれ絞め殺される場面。ミケランジェロらの彫刻家たちに大きな影響を与えた。

ここからしばしラファエロの作品が続く。ラファエロ・サンティは、1483年に中央イタリアの小国、ウルビーノ公国の宮廷画家の息子として生まれ、8歳で母を11歳で父を亡くし孤児となった。10代でペルジーノの助手として働き、20歳前後にフィレンツェをしばしば訪れて作品を残している。1508年、25歳のときローマへ移り、37歳で早世するまで生涯ローマで過ごし、ヴァチカン宮殿に多くの作品を残した。彼をローマへと招き、重要なパトロンとなった「ローマ教皇ユリウス2世の肖像(1512頃)」がこの絵である。ラファエロ肖像画の中でも最も高く評価されている作品の一つである。

こちらはラファエロの「ヒワの聖母(1506)」。聖母マリアの向かって左が洗礼者ヨハネ、右が救世主キリスト。ヨハネが手にするヒワを3人とも見つめている。ヒワはキリストの受難の象徴とされる薊を食べることから、ヒワ自身が受難の象徴とされた。キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘へ行く途中、ヒワがキリストの頭上に舞い降り、額に食い込んだ茨の冠から棘を抜こうとした。その時キリストの血を一滴浴び、その瞬間から斑点を見にまとったと伝えられる。

こちらはラファエロの「自画像(1504-06)」。フィレンツェ滞在前後の若き日のラファエロで、すでに各地の教会から祭壇画の依頼を受けて画家として十分に認められているが、表情は雑念のない無欲の青年といったところか。この自画像は、古くはウルビーノにあったようだが、1588年にローマに移され、後に枢機卿レオポルド・デ・メディチの所有となったそうだ。

これはティツィアーノの初期の作品、「フローラ(1515頃)」。実在の人物の肖像画ではなく、ローマ神話における花と豊穣の女神フローラに由来する、祭事「フロラリア祭」の主役「娼婦フローラ」を寓意的に描いたものとされている。

こちらはレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知(1472-75)」。横217cm、縦98cm。『ルカ福音書』に記されている、大天使ガブリエルがキリスト受胎を告げるために聖母マリアのもとを訪れた有名な場面が描かれている。レオナルド(1452-1519)は、イタリアルネサンス期を代表する芸術家だが、音楽、建築、数学、生物学、天文学、物理学、工学など様々な分野に顕著な業績を残し、「万能人」との異名も持つ。14歳の時、フィレンツェの画家兼彫刻家であったヴェロッキオが運営する工房に入門した。レオナルドの初めての作品とされる「キリストの洗礼」と同様にヴェロッキオとの合作であるが、ヴェロッキオの工房ではもともと弟子たちとの共同制作が頻繁に行われ、全体の構図や主要人物のデッサンはヴェロッキオが決めていた。

こちらがレオナルドの初めての作品とされる「キリストの洗礼(1472-5)」。キリストがヨハネに洗礼を受けているのを二人の天使が左の傍でじっと見ている絵である。レオナルドは背景と天使を担当したそうだ。「受胎告知」と同様、聖書の中でもよく書かれている有名な場面である。

こちらはピエトロ・ペルジーノの「聖母子と洗礼者ヨハネと聖セバスティアヌス(1493)」。ペルジーノはイタリアルネサンスのウンブリア派を代表する画家で、ボッティチェリやギルランダイオらとともにバチカンシスティーナ礼拝堂の壁画制作を担当した。若きラファエロの師でもあった。聖母マリアはグロテスク模様の施された玉座の上に座り、彼女の膝に抱かれたキリストは左にいるバプテスマのヨハネを見ている。右にいるのは矢に射られて殉教した聖セバスティアヌスで、天に瞑想的な眼差しを向けるのは定型的な表現である。ペルジーノは1493年にフィレンツェの建築家ルーカファンチェッリの娘・キアーラと結婚したが、この絵の聖母の顔はキアーラの肖像とされる。

こちらはカラヴァッジオ(1573-1610)の「バッカス(1595頃)」である。カラヴァッジオバロック期のイタリア人画家で、ローマ、ナポリ、マルタ、シチリアと波乱に満ちた生涯を送り、38歳で早世した。あたかも映像のように人間の姿を写実的に描く手法と、光と影の明暗を明確に分ける表現は、バロック絵画の形成に大きな影響を与えたとされる。バッカスローマ神話の葡萄酒の神であり、ギリシア神話ディオニュソスに対応する。豊穣と葡萄酒と酩酊の神とされるが、この若きローマ時代の作品「バッカス」では、ワインを楽しむ少し酩酊気味な若者の姿が写実的に描かれる。