半坪ビオトープの日記

ウフィツィ美術館、ボッティチェリ他


ウフィツィ美術館(Galleria degli Uffizi))は、フィレンツェにあるイタリアルネッサンス絵画で有名な美術館で、イタリア国内の美術館としては収蔵品の質、量ともに最大である。1591年より部分的に公開されており、近代式の美術館としてヨーロッパ最古のものの一つである。
ドーリア式の回廊の上に2階、3階部分が建設されたルネッサンス式の建築物で、全体としては大きなU字型をしている。初代トスカーナ大公コジモ1世の治世下、ジョルジュ・ヴァザーリの設計で1560年に着工し、1580年に竣工したフィレンツェ公国の行政局(uffici)が置かれていたのでこの名がついた。トスカーナ方言であるUffiziは、英単語のofficeの語源となっている。

アルノ川に面した川沿いの砂地に建築されており、基底部は世界最初のコンクリート工法ともいわれている。なお、コジモ1世とヴァザーリはともに1574年に没しており、建物の完成はコジモ1世の跡を継いだフランチェスコ1世と建築家ベルナルド・ブオンタレンティに引き継がれた。
コジモ1世は住まいのピッティ宮殿からヴェッキオ橋の2階部分を通り、庁舎およびヴェッキオ宮殿まで続く秘密の回廊(ヴァザーリの回廊)を使って毎日通っていたという。この回廊には肖像画コレクションが展示されているが、ウフィツィ美術館とは別料金である。秘密の回廊とはいえ、外から見るとウフィツィ美術館とヴェッキオ宮殿は3階部分で連絡通路により繋がっているのが見て取れる。時期にもよるが、この通路を使ってヴェッキオ宮殿からウフィツィ美術館に入ることもできる。

ウフィツィ美術館フィレンツェで絶対見逃せない美術館だが、入場には何時間もかかるので事前予約が必須である。それでも朝一に出向き、絵画館のある3階に上がる。入口にはメディチ家の古代彫刻コレクションが立ち並ぶ。

絵画館は第1室から第45室まであり、最初は十字架上のキリストや聖母子など中世の宗教画から始まる。次にドゥッチョ、チマブーエ、ジョットのマエスタが並ぶ。マエスタとは、玉座につき聖人や天使に囲まれた聖母子の絵画のことで、「荘厳の聖母子」とか「玉座の聖母子」と呼ばれる。
これはシエナ派の巨匠・ドゥッチョのマエスタ(1850頃)。この作品は最初、フィレンツェサンタ・マリア・ノヴェッラ教会に納められ、その後、同教会内のルチェッライ家礼拝堂に移されたので、「ルチェッライの聖母」とも呼ばれる。

こちらはイタリア絵画の創始者として重要視されている、ジョットの師匠・チマブーエのマエスタ(1280~90)。元はサンタ・トリニタ教会に納められていたので「サンタ・トリニタの聖母」とも呼ばれる。

こちらは「ルネッサンス絵画の父」とも呼ばれるゴシック絵画最大の巨匠・ジョットのマエスタ(1308)。この祭壇画は、オンニサンティ教会に収められていた作品で、「オンニサンティの聖母」とも呼ばれる。それまでの伝統的図式だった「聖母の首の傾げ」がなくなり、遠近法が導入されてメリハリが生じ、天使も含め瞳や顔の表情などがとても写実的になっている。

その後フィリッポ・リッピの作品が続き、こちらはピエロ・デッラ・フランチェスカ作の「ウルビーノ公夫妻の肖像である。横向きに向かい合った肖像が興味深い。

いよいよウフィツィ美術館の中でも注目を集める、ボッティチェリの作品がいく部屋にもまたがって続く。これは「受胎告知」(1489)。大天使ガブリエルは、白い百合の花を持って左側から近づき、マリアにイエスを身ごもったことを伝える。

長い間撮影禁止だったウフィツィ美術館も、2014年夏から撮影可(フラッシュは禁止)となって、誰もが喜んでいるはずだ。特にボッティチェリの「春、Primavera」と「ヴィーナスの誕生」は名画中の名画なので、実際に目の前で見た感動を何回も追体験したいものだ。
1482年にボッティチェリにより制作されたこの「春」は、314×203cmという大きなキャンバスに、艶やかな女神たちが集う。ギリシア神話のヴィーナスを中心とした女神たちの「愛の讃歌」がテーマなのであろうが、登場人物やテーマには諸説があるという。愛と美の女神ヴィーナスを中心に、左にマーキュリー(ヘルメス)・三美神が集い、右の女神は花の女神フローラで、その右にはゼフュロスがニンフのクロリスを拉致しようとしている場面があり、二人が結婚して女神となったのが花の女神フローラだとする説が有力と思われる。

こちらがウフィツィ美術館で最も有名な、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」である。1485年に制作されたこの作品は、ギリシア神話に出てくる愛と美の女神ヴィーナスの誕生を描いている。西風の神ゼフュロスは、妻となるニンフのクロリス(女神フローラ)を抱いてバラを撒き散らしながら、帆立貝に乗ったヴィーナスに強く風を吹き送っている。恥じらいながら立つヴィーナスに、右から季節の女神ホーラが、赤いローブを渡している。赤いローブには、ヒナギクサクラソウヤグルマギクなど「誕生」にふさわしい春の花が刺繍されている。

こちらはボッティチェリが1487年にフィレンツェ政庁から委嘱されて制作した「ザクロの聖母」と呼ばれるトンド(円形)形式の聖母子像。直径143.5cm。ザクロは「キリストの復活」の象徴とも「キリストの受難」の象徴ともされる。

こちらはボッティチェリの1486年頃の作品で、「聖母子と4人の天使と6人の聖者」。通称、「サン・バルナバ祭壇画」。268×280cmとかなり大きい祭壇画で、医師薬剤師組合がサン・バルナバ聖堂の主祭壇のために発注した作品という。

こちらはボッティチェリの初期(1474年頃)の作品で、「コジモ・ディ・メディチのメダルを持つ男の肖像」。メディチ家のためにメダルの製造をしていたボッティチェリの兄、アントニオだとする説もあるが、詳細は不明である。このコジモのメダルは1465〜69年にかけて鋳造されたもので、フィレンツェのバルジェッロ美術館に本物が所蔵されている。

こちらもかなり有名なボッティチェリの作品「パラスとケンタウロス」で、1482年頃の制作とされる。知恵と理性の女神パラスがケンタウロスの本能、情熱を支配していると一般に理解されている。しかし、パラスもケンタウロスギリシアローマ神話に登場するが、この二人が対峙する場面は見当たらないので主題の解釈には諸説ある。けれども、立派な斧槍を堂々と持って立ち、オリーブの枝葉が絡みつく薄いドレスをまとったパラスにボサボサの髪を掴まれて、たしなめられるように見つめられるケンタウロスの悲しげに屈している表情は極めてリアルなので、素直に二人の表情を中心にしみじみ見較べるだけでよいと思う。

これは、サンドロ・ボッティチェリが晩年(1495年頃)に手がけた寓意画作品「アペレスの誹謗(ラ・カルンニア)」である。紀元前4世紀、ギリシアの画家アペレスが描いた「誹謗」をボッティチェリが復元したもの。「無実」の罪でミダス王に扮する審問官「不正」の前に引き摺り出される若者を引き摺っているのは「誹謗」と「憎悪」の擬人像であり、「欺瞞」と「嫉妬」の擬人像が「誹謗」の髪を整えている。左側の老婆は「悔悟」の擬人像で、老婆が振り返ってみる「左の女性は「真理」の擬人像であり、裸体であるのは「真理」は何物にも覆われないことを意味し、天を指差すのは「真理」が天の裁きを指し示しているとされる。
かつて1480年代は甘美性を携えるルネサンス的な表現で名声を得たボッティチェリだったが、この頃にフィレンツェを支配していたメディチ家を批判し、当主ロレンツォの死後(1492)、フィレンツェ共和国を宣言し、失墜したメディチ家に替わり政治顧問として神政政治神権政治)を執り行ったドミニコ会の修道士、ジロラモ・サヴォナローラに思想的影響を強く受けて表現様式も変えていった。主題の解釈には諸説あるが、①サヴォナローラに傾倒した画家本人に対する誹謗への抗議、②サヴォナローラの厳格な政治的態度に対する誹謗への抗議、③画家に対してかけられた同性愛疑惑に対する抗議の3つの説が有力とされる。しかし、この時期以降の作品は精彩を欠くようになり、1501年頃には制作をやめ、1510年に死去した。