半坪ビオトープの日記


高安寺には源義経と弁慶らが立ち寄った際、大般若経を書き写すために境内にある井戸の水で墨をすったという伝説があり、「弁慶硯の井」という古井戸が残っている。高安寺の近くには弁慶坂、弁慶橋跡などの地名も残っている。

高安寺はもとこの地にあった見性寺を再興したもので、龍門山等寺院高安護国禅寺と改められた。ムカデ退治や平将門討伐で知られる藤原秀郷が武蔵守を務めていた頃の館跡とも伝えられている。墓地の奥、井戸の手前に秀郷稲荷大明神が祀られている。

高安寺の観音堂は、もと寺の西、観音橋付近にあったが大水に流されたので、享保年間にこの地に再建されたという。桁行三間・梁間三間の入母屋造りで、多摩地区では珍しい江戸中期の三間堂である。格天井の彩色絵様など18世紀前半の特色を伝える建築として貴重とされる。

高安寺には、徳川家康に仕えた武蔵国府中領初代代官であった高林吉利の墓と、江戸の趣味人の間で有名であった府中番場宿「四人部屋」という旅籠の主人、野村瓜州の墓もある。どちらも府中市指定文化財となっている。