半坪ビオトープの日記

東京

これはその昔、時刻や緊急事態を知らせる太鼓を置いた鼓楼という建物である。寺院の釣鐘に対し、神社では大太鼓が叩かれる。 慶長年間に三重塔とともに造営されたが火災で焼失し、嘉永7年(1854)に再建された。 宝物殿の左にある神楽殿は、昭和6年昭和天…

大国魂神社の祭神は、出雲の大国主神と同じとされる大国魂大神で、本殿の中殿に祀られている。 2世紀初めの創建と伝えられ、大化の改新のとき武蔵国府を置かれ、社を国衙の斎場とし、その後、武蔵総社六所宮となった。 中朱雀門は、明治維新百年記念事業と…

大国魂神社は武蔵国の総社で六社を合祀しており、明治神宮、東京大神宮、靖国神社、日枝神社とともに、格式の高いといわれる「東京五社」の一つである。ちなみに六社とは、小野神社(多摩市)、二宮神社(小河神社、あきるの市)、氷川神社(さいたま市)、…

旧甲州街道と鎌倉街道(現在の府中街道)の交差するところに、都の旧跡に指定されている府中高札場跡がある。高札とは、法度、掟書、犯罪人の罪状などを記し、交通の多い市場や辻に掲げて一般庶民に知らせる板札で、御高札または札の辻と呼ばれ、その場所を…

昨日東日本を襲った大地震と津波のニュースを見聞して、想像を絶する自然の破壊力に圧倒され言葉も出ない。亡くなられた多くの被災者の冥福を祈るばかりである。 さて、この寺院は天台宗の古刹で、悲願山善明寺という。山門の外にも内にも寺院の説明板がなく…

高安寺には源義経と弁慶らが立ち寄った際、大般若経を書き写すために境内にある井戸の水で墨をすったという伝説があり、「弁慶硯の井」という古井戸が残っている。高安寺の近くには弁慶坂、弁慶橋跡などの地名も残っている。 高安寺はもとこの地にあった見性…

分倍河原の戦いで新田義貞が陣を構えたといわれるところに現在、龍門院高安寺がある。開基は室町幕府初代将軍足利尊氏で、全国に建てた安国寺のうち武蔵国の安国寺として位置づけられていた大寺院であった。江戸時代初期までは臨済宗建長寺末の寺院だったが…

南武線分倍河原駅前ロータリーに、馬にまたがり刀を振り上げる武者の像が建っている。鎌倉幕府を滅亡に導いた新田義貞像である。制作は昭和63年、富永直樹による。 上野国の豪族であった新田義貞は、後醍醐天皇の命で元弘の乱(1333)に参戦した。新田軍は…

西府駅の南口にある御嶽塚古墳は、府中市の史跡となっている円墳で、直径約25mの墳丘と、その周囲に幅約7mの溝が巡っていた。 西府駅周辺の発掘調査では御嶽塚を含めて10基以上の古墳が発見され、太刀などの副葬品や多数の円筒埴輪が並べられた古墳もあ…

前回は東村山市の久米川古戦場周辺を巡ったが、昨日は分倍河原古戦場のある府中市の史跡巡りを行った。 府中市には大国魂神社という大きな史跡があるので、そこに向かって平成21年にできたばかりの南武線西府駅から歩き始めた。 西府駅の北800mにある熊…

「元弘青石塔婆所在趾」のすぐ奥に、ハランやツバキに囲まれた小高い塚があり、将軍塚の碑が立っている。 古い古墳であったとも考えられているこの塚の上で、元弘3年5月12日、久米川の戦いにおいて、新田義貞が指揮を執ったといわれている。 現在では雑…

八国山は、コナラやクヌギ、エゴノキ、リョウブ、ヤマザクラなどの雑木林となっていて、下草にはクマザサが群生している。野鳥や昆虫も多そうだ。 階段状の上り坂の尾根道を数分歩いていくと、やがて平らになり、右手に「元弘青石塔婆所在趾」の碑が見えてく…

八国山(89.4m)は、甲斐や相模など武蔵周辺の八つの国の山が見えるということからその名がついた。八国山緑地は狭山丘陵の東端に位置し、西の入り口は西武園駅の近くで、尾根道を久米川古戦場跡の東端まで縦走しても2kmほどしかない。細長い緑地には麓か…

狭山丘陵の東端にあたる八国山の東の麓の付近一帯は、久米川宿と呼ばれ、鎌倉時代には上野国と鎌倉を結ぶ鎌倉街道上(かみ)の道の主要な宿場であった。 また元弘3(1333)年、新田義貞が鎌倉攻めの際に鎌倉幕府軍と合戦した戦場であった。5月8日に上州生…

板碑保存館の1階には、八国山の北側、所沢市山口で明治末期に発見された、約1200年前の獣脚付蔵骨器が展示されている。 2階にはたくさんの板碑が展示されているが、なかでも国の重要文化財に指定されている、元弘の板碑が特別扱いになっている。本物だがガ…

臨済宗大徳寺派の福寿山徳蔵寺は、1616年(元和2)に璧英宗趙禅師による中興開山と伝えられているが、詳細は不明である。 国の重要文化財である元弘の板碑をはじめとして多数の板碑や多くの考古・民俗資料を収集し「ちらかし寺」と呼ばれてきた。 校倉…

ふるさと歴史館の生活をテーマにした展示室では、「なつかしい暮らしと道具たち」の企画展を開催していた。特に昭和時代の家電製品の変遷は、生き証人としての我々の生活史そのものとして感慨深く見学した。 常設展示室にはほかにも国宝「正福寺地蔵堂」の模…

東村山ふるさと歴史館は、古代の「東山道」、中世の「鎌倉街道」を軸に特徴ある歴史を持つ、東村山市の文化財や歴史資料を展示している。 メインの常設展示室では、縄文時代の下宅部遺跡や中世資料から、戦前・戦後の東村山駅や鉄道あるいは人々の暮らしの様…

東村山市の八坂神社といえば、武蔵野牛頭天王とも呼ばれる立派な社殿を持つ府中街道沿いの八坂神社が有名だが、元々は正福寺の守護神として祀られていたものが栄町(八坂駅の北)に遷されたものである。ここ正福寺の隣に残っているみすぼらしい八坂神社は、…

室町時代の応永14年(1407)建立とされる地蔵堂は、禅宗様仏殿の代表作の一つで国宝に指定されている。都内唯一と永年いっていたが、2009年に旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)が国宝建造物に指定されている。 禅宗様(唐様)とは、鎌倉時代の初期に禅宗と…

トトロの里で有名な八国山を背にして建つ正福寺は、臨済宗建長寺派の禅宗寺院で、山号は金剛山という。鎌倉時代中期に創建されたと伝えられ、開基は北條時頼説と北條時宗説がある。その山門は、元禄14(1701) 年建立の四脚門で切妻、昭和48年の改修で茅…

昨日、小雪のぱらつく中、東村山市の八国山周辺を史跡巡りで歩いた。ここは天台宗の恵日山大善院、通称は野口不動尊という。 創立は未詳の八王子市高月町の円通寺の塔頭(脇寺)であったが、明治32年慈善和尚により東村山に移り、以後「野口のお不動さま」…

先日、「チューボーですよ」で紹介された池袋の洋食屋「UCHOUTEN」に出向いてみた。地下鉄の東池袋駅から都電の雑司ヶ谷駅へ向かう、普段通ることのない不便な所なのだが混んでいて、すぐにハンバーグは売り切れになるという。 ロールキャベツの美味しい店と…

池袋西口に派手に飾られたトルコ料理の店がある。トルコ語で「海」を意味する「DENIZ」デニズという名である。 入口の左にはドネルケバブ(回転焼き肉)コーナーがあり、夜には食欲をそそるにおいが立ち込めるはずだ。 入口の右には大きな看板に数々のトルコ…

ガッタイオーラ・ドルチ自慢のズコットは、イタリアの中世の修道院で作られてきた冷やして食べるケーキで、形が聖職者の帽子、ズケットに似るためにこの名がついた。 ルネッサンスの時代、メディチ家の晩餐会の際に、お抱え建築家で万能の天才と言われたブオ…

家のすぐ近くの目立たない路地に風変わりな店があり、いつも気になっていた。小さなイタリアン・デザート・バー「ガッタイオーラ・ドルチ」(Gattaiola dolci) という。 Gattaiola とは、猫の出入り口、dolci とは、お菓子を意味する。玄関のドアも屈まなけ…

車道から斜め左にコースが分かれるところの右側に、スダジイの巨木がある。 多摩市指定の天然記念物で目通り幹囲3.6m、高さ16m、枝張り11mで、見事に半球状に広がっている。 多摩丘陵に広がる樹林はコナラやクヌギなどの雑木林が中心だが、寺社の…

西へ向かう西順路という道標に従って石段を降りきると、右手に炭焼き窯がある。見た目は伝統的な様子だが、現代的な技術で製作され性能がよいそうだ。 炭焼き窯の手前に紅梅の木が数本植えられていて、ちょうど花を咲かせていた。 炭焼き窯の前の道を先へと…

こちらの旧加藤家住宅も建築年代は不明だが、建築様式などから18世紀後半と推定されている。 建物は桁行七・五間、梁行三・五間、入母屋造り、茅葺、平入りの農家で、旧有山家よりも少し規模が大きく、造りもしっかりしている。 ここの座敷は板張りになっ…

公園内には多摩市指定有形文化財である古民家が左右にあって、見学できるようになっている。こちらは旧有山家住宅。 寄棟造り、茅葺、平入りの農家で、建築年代は不明だが、建築様式などから18世紀初頭と推定されている。 間取りは座敷、奥、納戸と閉鎖的…