半坪ビオトープの日記


狭山丘陵の東端にあたる八国山の東の麓の付近一帯は、久米川宿と呼ばれ、鎌倉時代には上野国と鎌倉を結ぶ鎌倉街道上(かみ)の道の主要な宿場であった。
また元弘3(1333)年、新田義貞が鎌倉攻めの際に鎌倉幕府軍と合戦した戦場であった。5月8日に上州生品神社で兵を挙げた新田軍は、小手指原(5/11)の翌日、ここで北條軍を破った。今では宅地化が進み、残念ながら久米川古戦場の面影はどこにもない。
その後も、北條高時の子、時行と足利尊氏の弟、直義らの戦いである中先代の乱(1335)や武蔵野合戦(1352)、上杉禅秀の乱(1416.17)などの合戦場ともなった。
八国山の中央の麓には、新東京百景に選ばれている北山公園が広がり、初夏には150種類10万本の花菖蒲が咲き乱れるというので、その頃にまた訪れたいものだ。

古戦場跡の近くに流れる北川には、この将陣場橋や勝陣場橋など合戦にまつわる地名が多く残っている。

古戦場跡に向かう途中、玄関脇にきれいなロウバイ属のソシンロウバイ(素心蝋梅、Chimonanthus praecox var. grandiflorus f.concolor)が満開になっているのを見かけた。

基本種のロウバイは、花の内側の花被片が暗紫色を呈する。変種であるソシンロウバイは、内側の花被片まですべてが黄色になっていて、ロウバイより花が少し大きい。虫こぶのような黒い実が残っている。