半坪ビオトープの日記


板碑保存館の1階には、八国山の北側、所沢市山口で明治末期に発見された、約1200年前の獣脚付蔵骨器が展示されている。
2階にはたくさんの板碑が展示されているが、なかでも国の重要文化財に指定されている、元弘の板碑が特別扱いになっている。本物だがガラスで囲まれていて見づらいのが残念である。この碑は、もと八国山中腹の永春庵にあったが、庵が徳蔵寺に遷されたときに遷された。材質は緑泥片岩。

右には元弘の碑と永春庵や、新田義貞の鎌倉攻めの解説がある。
元弘3年5月8日に上州生品神社で兵を挙げた新田軍は、小手指原(5/11)、久米川(5/12)、分倍河原(5/15.16)、相州村岡(5/18)、稲村ケ崎(5/21)で北條軍を破り、22日、遂に鎌倉北條氏を滅亡させた。15・18日の合戦の場所と、上野国の飽間斉藤氏3人の名前が刻まれたこの元弘の碑は、太平記の記述を裏付ける実証資料として高く評価されている。
当初元弘の碑があった永春庵の変遷や新田義貞の鎌倉攻めの様子も絵図や写真を駆使して詳しく説明されていて興味深い。永春庵は、現在、徳蔵寺の境内に移されている。

板碑とは、中世仏教で使われた供養塔であり、石碑に梵字(種子)や被供養者名、供養年月日、内容のほか、頭部に二条線が刻まれる。

板碑は主に鎌倉武士の本貫地とその所領に集中し、秩父産の緑泥片岩で作られた武蔵型板碑が典型とされる。青石塔婆とも呼ばれる。