半坪ビオトープの日記


臨済宗大徳寺派の福寿山徳蔵寺は、1616年(元和2)に璧英宗趙禅師による中興開山と伝えられているが、詳細は不明である。
国の重要文化財である元弘の板碑をはじめとして多数の板碑や多くの考古・民俗資料を収集し「ちらかし寺」と呼ばれてきた。
校倉造り2階建ての「徳蔵寺板碑保存館」を昭和43年に設立し、それらの貴重な資料を公開している。
徳蔵寺はもと板倉氏(旗本か)の屋敷であったといわれ、「新編武蔵風土記稿」編纂の頃(1810-30)は土塁や塀の跡が残っていたという。
また、天長10年(833)に設けられたという、悲田処の址(正位寺本尊薬師如来は徳蔵寺に安置)と伝えられる所が寺のすぐ東にある。

元文2年(1737)建立の本堂は昭和55年から改築されたが、その工事中に、宝篋印塔(鎌倉時代)・供養塔が数基発掘されたことから、かなり以前から寺院があったと考えられている。

板碑保存館の2階には、その宝篋印塔や境内から発掘された板碑のほか、近隣から集められた板碑がたくさん展示されている。

保存館の板碑は約170基あり、13世紀前半から17世紀はじめに作られている。