半坪ビオトープの日記


「元弘青石塔婆所在趾」のすぐ奥に、ハランやツバキに囲まれた小高い塚があり、将軍塚の碑が立っている。

古い古墳であったとも考えられているこの塚の上で、元弘3年5月12日、久米川の戦いにおいて、新田義貞が指揮を執ったといわれている。
現在では雑木が生い茂り、冬で葉が落ちていても見晴らしはよくない。

春の新緑や夏あるいは秋の景色を楽しむためにまた八国山に来ることもあろうと、今回はここで切り上げ帰途についた。この橋は柳瀬川に架かる勢揃橋という。新田義貞が軍勢を勢揃いさせた橋であると言い伝えられている。

この道は旧鎌倉街道上道の一つであり、その旨の石柱もあった。ここでバスに乗り所沢駅に向かい、なかなか降り止まなかった小雪の中の史跡巡りを終えた。