半坪ビオトープの日記


南武線分倍河原駅前ロータリーに、馬にまたがり刀を振り上げる武者の像が建っている。鎌倉幕府を滅亡に導いた新田義貞像である。制作は昭和63年、富永直樹による。
上野国の豪族であった新田義貞は、後醍醐天皇の命で元弘の乱(1333)に参戦した。新田軍は小手指原の戦い、久米川の戦いで幕府群を破った勢いで、鎌倉街道上道を南に進みここ分倍河原にやってきた。元弘3年5月15・16日の分倍河原の戦いで、鎌倉幕府14代執権、北条高時の弟、北条泰家を大将とする10万の軍勢を撃破し相模国に入り、挙兵からわずか2週間で鎌倉幕府を滅ぼした。

その後室町幕府を築いた北朝方の足利尊氏に対し、新田義貞建武の新政を支持する南朝方の立場を取ったため、南北朝の動乱で敗れ去り、歴史の舞台から消えた。

府中小唄ゆかりの地のひとつ、分倍河原古戦場碑は、府中市分梅町の新田川分梅公園にあるが、今回は方向が逆なので省略した。