半坪ビオトープの日記


金峯山寺の本堂である蔵王堂は、高さ34m、桁行七間、梁間八間あり、木造では東大寺大仏殿に次ぐ大きさで、重層入母屋造り桧皮葺きの堂々とした建物である。

現在の建物は天正19年(1591) に再建された室町末期を代表する建造物で、国宝に指定されている。内部は内陣と礼堂からなり、松や杉、梨、ツツジなどの巨木の柱が68本も林立して豪壮である。

日本最大の秘仏といわれる本尊の金剛蔵王権現は、本地釈迦如来(像高7.3m)、弥勒菩薩、千手観音の三体からなる。像は火焔を背負い、頭髪は逆立ち、目を吊り上げ、口を大きく開いて、悪魔降伏の忿怒の形相というが、秘仏とされ普段は公開されていない。重文に指定されているが、見ることができないので、パンフの切り抜きを載せる。

蔵王堂の東にある吉野朝宮跡は、足利尊氏に追われた後醍醐天皇が築いた南朝の皇居跡で、ここで悲運の生涯を閉じた。後ろに建つのは南朝妙法殿で、南朝天皇並びに忠臣の霊を祀る。

蔵王堂の正面にある四本桜という庭は、元弘3年(1333) 鎌倉北条勢に攻められて護良親王後醍醐天皇の第三皇子)が、吉野落城を覚悟して最後の酒宴をした場所である。石柵内に立つ銅灯籠は文明3年(1471) 製作で、重文に指定されている。

蔵王堂の南正面には現在は門がないが、かつてはここに二天門があった。信濃出身の武士であった村上義光(よしてる)は、元弘3年、護良親王の身代わりとしてこの二天門の楼上で自害したと伝えられ、門跡には「村上義光公忠死之所」と記した石柱が立っている。