半坪ビオトープの日記


金峯山寺から吉水神社へ向かう途中に東南院という寺がある。金峯山寺の巽(東南)の方角で、吉野一山の興隆を祈願する位置に建つ。開基は役行者と伝えられ、修験者の宿坊にもなっていたという。

東南院の多宝塔は、紀州野上に在ったものを昭和12年に移築されたものだが、正面の鰐口には永徳7年(1564) の銘があり、鎌倉期の作と伝わる大日如来などが祀られている。

吉水神社は、もともと金峯山寺の僧坊、吉水院(きっすいいん)だったが、明治維新神仏分離により神社となった。後醍醐天皇主祭神とし、楠木正成吉水院宗信法印も合祀している。

吉水神社は、文禄3年(1594) 豊臣秀吉が臣下の徳川家康ら5千人を従えて花見の宴を催した時の本陣となった所で、この一目千本という境内は中千本や上千本などの桜を見る絶好の展望台となっている。

吉水神社の庭園は、秀吉の花見に際し、自ら設計した桃山様式の庭園で、神仙思想に基づく鶴亀蓬莱の庭となっている。

弁慶の力釘の石は、弁慶が力試しに二本の釘を親指で石へ押し込んだものと伝えられている。