半坪ビオトープの日記


吉水神社から下った所にあるこの寺は、後醍醐天皇勅願寺である如意輪寺という。山号は塔尾山椿花院という。
延喜年間(910頃)に醍醐天皇の帰依を被った日蔵上人により創建され、後醍醐天皇が吉野行宮を定めたとき勅願寺となった。
延元4年(1339)後醍醐天皇が亡くなると如意輪寺の裏山に葬られ、御霊殿に祀られている。
次の後村上天皇の正平2年(1346) 楠木正行四条畷の戦いの前に鏃で辞世の句を刻んだ本堂の扉は、宝物殿に展示されている。
現在の本堂(如意輪堂)は、慶安3年(1650) の再建で、その再興の際、如意輪寺は真言宗から浄土宗に改められた。

これが宝物殿に展示されている楠木正行の辞世の扉である。ほかにも兜や短刀など正行ゆかりの展示が多い。

嘉禄2年(1226) 源慶(運慶の高弟)作の蔵王権現木像は、鎌倉時代の名品で重文に指定されている。

こちらの阿弥陀如来立像は、平安時代前期の木像で像高3尺に満たない。

多宝塔は大正15年の建立で、本尊は阿弥陀如来を安置している。

この難切不動尊は、日本最大の石の不動尊という。昔は吉野山に上る不動坂に祀ってあったといわれる。