半坪ビオトープの日記

北海道

ニッカ余市蒸留所

日本のウィスキーの父といわれる竹鶴政孝は、1934年、余市に蒸留所を建設した。欧州の城郭を思わせる石造りの正門を始め、創業当時から残る貴重な建物が多く残されている。15万平方メートルの余市蒸留所見学はこの正門からスタートする。 竹鶴政孝は1894年、…

島武意海岸、積丹海鮮料理

神威岬から積丹半島最北端の積丹岬に向かう。岬入口の駐車場から自然遊歩道を左に進むと20分ほどで積丹岬に着く。右に遊歩道(シララの小道)を1時間弱進むと、女郎子(じょろっこ)岩を眺められる展望台がある。その女郎子岩には、入舸の酋長の娘シララの…

神威岬、神威岩

神威(カムイ)とはアイヌ語で「神」を意味する。神威岬は、古くは御冠(オカムイ)岬とも呼ばれたという。また、積丹(シャコタン)とは、アイヌ語のシャコクタン(夏の村)に由来する。 「チャレンカの道」はまだまだ細く続いている。柵に囲まれているから…

積丹半島、神威岬へ

翌朝早く、積丹半島の南の付け根にある岩内から時計回りに半島を回り始める。再稼働が問題となっている泊原発のある泊村は、なにやら異様な静けさに包まれている。村役場を過ぎると海岸線には岩場が見え始め、そろそろ神恵内(かもえない)村に入る辺りに弁…

帰厚院、荒井記念美術館

この8月は、山登り、旅行、合宿など連泊の行事が続き、かなり休むことになりますので、ご了解ください。 岩内町の雷電国道より南の地区は碁盤の目のように道路が整然としているので、南北に走る道路の南には岩内岳(1086m)がどっしりと構えている。雷電火…

岩内町郷土館

積丹半島の南西部の付け根にある岩内町は、宝暦元年(1751)に和人が通年定住したという記録があり、北海道では歴史の古い町である。明治・大正・昭和にかけて漁業・商業で栄えた町でもあり、日本最初・北海道最初の事業もいくつかあって、岩内と関係深い文…

鰊御殿、雷電海岸

大沼公園から渡島半島を道央自動車道で北上し、長万部から渡島半島を縦断し日本海側の寿都町に出る。寿都湾に注ぐ朱太川周辺では縄文期の土器やアイヌの人々の遺跡も発見され、古くから寿都には人が住んでいたと考えられている。寿都町の開基は、和人が集落…

大沼公園

函館駅から北、10数kmの距離に大沼国定公園がある。背後に望むことができる北海道駒ケ岳の火山活動によってできた堰き止め湖で、大沼、小沼、蓴菜(じゅんさい)沼の集まる地域である。 大沼湖畔遊歩道は3つあり、右手の大島の路は徒歩15分、中央の島巡り…

トラピスト修道院

女子のトラピスチヌ修道院は函館市街地の郊外にあるが、男子のトラピスト修道院は函館駅から25kmほど西の北杜市の郊外にある。正式名称は「厳律シトー会灯台の聖母トラピスト大修道院」といい、日本で最初の男子修道院である。修道院へ続くまっすぐな道路脇…

トラピスチヌ修道院

函館市街地の東の郊外にトラピスチヌ修道院がある。正式名称は「厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院」という、トラピスト会(厳律シトー会)の女子修道院であり、男子禁制である。 門を入って最初に出迎えるのが、フランスから贈られた大天使・聖ミカ…

北方民族資料館

基坂の下で振り返ると、元町公園の上には函館山が見える。かつては行政の拠点として、坂上に役所が置かれていた。そのため住民の間では「お役所坂」「御殿坂」とも呼ばれて親しまれてきた。基坂の名は、里数を測る上で「基点」となる元標が坂下に建てられて…

元町教会巡り

函館山にはロープウェイで上がることもできるが、その麓駅から北にかけての元町一帯は、数々の教会や旧領事館などレトロな建物が立ち並び、函館市内屈指の定番観光エリアとなっている。ロープウェイ駐車場に近い聖ヨハネ教会は、明治7年(1874)創建の、北…

函館朝市、函館山

函館で海鮮料理を味わうなら、まず函館朝市を見てみたいと思い訪れた。戦後、函館駅前広場の立売が発祥で、昭和31年に現在地の若松町に移転、海鮮丼の元祖「きくよ食堂」などが創業し、現在は約250店舗が集結している。海鮮食堂もいいが、やはりカニやホタテ…

函館、五稜郭

銀婚湯から函館の五稜郭を目指す。五稜郭は江戸時代末期に江戸幕府により蝦夷地の箱館郊外に建造された稜堡式の城郭である。昭和34年(1964)、五稜郭築城100年を記念して高さ60mの五稜郭タワーが開業した。平成18年(2006)には高さ107mの新タワーに改築…

銀婚湯

洞爺湖を後にし、内浦湾(噴火湾)に沿って渡島半島をひたすら南下して、八雲町の落部川を遡って山間の銀婚湯にたどり着く。旧八雲町は、旧尾張藩主徳川慶勝が北海道開拓と旧臣授産のため明治11年、72名を移住させて開拓を始めたことに始まる。平成17年に日…

昭和新山、有珠山

洞爺湖の南に有珠山があり、20世紀の100年間に4回の噴火が記録されているが、2回目の昭和19年から20年(1944-45)にかけての有珠山の噴火により東山麓の畑が隆起し、標高398mの昭和新山ができあがった。 昭和新山の麓には洞爺湖有珠山ジオパーク火山村が…

洞爺湖、中島

洞爺湖の「とうや」とは、アイヌ語の「トヤ」(湖の岸)に由来し、湖の北岸を指す地名であったが、和人はその北岸を向洞爺と呼んで洞爺を湖の名にした。アイヌの人々は洞爺湖のことを「キムント」(山の湖)と呼んでいた。地元では「どうや」と呼ぶこともあ…

洞爺湖、遊覧船

登別から洞爺湖へ向かう途中、道央自動車道から右手に昭和新山が木々の間から垣間見え、まもなく有珠山がその全貌を表す。大きな洞爺湖はその向こう側にある。 その先3分ほどで、長流川橋(おさるがわばし)に差し掛かる。伊達市長和町の長流川に架かる長流…

大湯沼、倶多楽湖

地獄谷はその北にある日和山(377m)の噴火活動によってできた広大な爆裂火口跡であるが、その日和山のすぐ麓にも周囲約1km、深さ22mの爆裂火口跡があり、ひょうたん型の大湯沼となっている。 大湯沼の表面温度は50℃で灰黒色をしている。最深部は130℃の…

登別温泉、地獄谷

室蘭を見て回った後に、通り過ぎていたこの日の宿泊地、登別温泉に向かった。地獄谷は、登別温泉の北東に位置する日和山の噴火活動によってできた爆裂火口跡である。 地獄谷の直径は約450m、面積は約11ha、谷に沿って数多くの湧出口や噴気孔があり、泡を立…

室蘭八景

白老の後、登別を後回しにしてその先の室蘭を訪れた。室蘭港を跨いで絵鞆半島に架かる白鳥大橋は、室蘭港の別名「白鳥湾」から名付けられた。白鳥大橋が展望できる記念館「みたら室蘭」の前に、白鳥大橋主塔基礎工事で海面下50mから掘り出した大石が「記念…

薬草園、アイヌ伝統料理

ポロトコタンの左側(北西)に位置するポロト湖の周辺には、ポロト自然休養林が広がり、湿原やキャンプ場、カヌーやサイクリング、バードウォッチングなど四季折々に楽しめる。また、日帰りのポロト温泉もポロト湖畔にある。 園内には松浦武四郎の胸像および…

アイヌ民族博物館

園内中央右手にアイヌ民族博物館が建っている。ポロトコタンは、アイヌの文化遺産を保存公開するために1965年、白老市街地にあったアイヌ集落をポロト湖畔に移設・復元した野外博物館として出発したが、かつて北海道や樺太、千島列島、東北地方北部に住んで…

白老ポロトコタン

今年のGWは、北海道の道南地方を一周した。新千歳空港から一路南下し、まず初めに昔からアイヌ集落がある白老町のポロトコタンを訪れた。ポロトコタンとは、アイヌ語で「大きな湖の集落」という意味で、ポロト湖の湖畔にアイヌの伝統的家屋「チセ」が並び…

アイヌ文化の森

旭川市北西にある広大な自然公園「嵐山」の園内に「アイヌ文化の森・伝承のコタン」がある。駐車場から石狩川の支流、オサラッペ川に架かるチノミシリルイカ橋を渡って公園に入る。チノミシリとは、我ら祈る場つまり聖なる山の意であり、ルイカとは橋の意で…

兵村記念館

旭山動物園の手前に、旭川兵村記念館がある。旭川村の屯田兵は、明治25年(1892)に家族とあわせて400戸2,334人が入地している。その旭川の兵村の人々の開拓の熱意と苦労を後世に伝えようと資料を集めて、昭和56年に記念館が建てられた。 旭川兵村の米作りは…

ジンギスカン、男山酒造

旭川市内で3回目の昼食は、ジンギスカンにした。最近リニューアルしたという「松尾」の大町店は新しくて清潔な雰囲気が漂う。 初めての方用の「お試しセット」を頼むと、特上ラム肉、ラム肉、焼き野菜大盛りに雪わさびがセットになっている。 野菜を周りで…

旭川市博物館

北海道最後の日は、旭川の街中を観て回った。旭川市博物館は、旭川市音楽堂、国際会議場とともに大雪クリスタルホールの中に併設されている。 常設展示室の上層階には、先住民のアイヌの人々やそれ以前の古代の人々、または明治以降屯田兵として入植してきた…

日高山脈博物館

帯広駅の近くに、世界で唯一といわれるばんえい競馬場がある。頑丈な馬が重りを載せた鉄ソリを引いて力とスピードを競う。北海道開拓時代の遺産として帯広市が運営している。隣接する「とかちむら」では、産直市場、観光センター、馬の資料館、飲食店などを…

帯広百年記念館

然別湖は、大雪山国立公園の南東端にあり、北西端にある旭川に帰るには約200kmもあるので、帯広、日高峠を越えて、十勝岳の麓の白金温泉を経由することにした。 帯広百年記念館は、開拓団体の晩成社が帯広に開拓の鍬を下ろした明治16年(1882)から百年目の…