半坪ビオトープの日記

兵村記念館


旭山動物園の手前に、旭川兵村記念館がある。旭川村の屯田兵は、明治25年(1892)に家族とあわせて400戸2,334人が入地している。その旭川の兵村の人々の開拓の熱意と苦労を後世に伝えようと資料を集めて、昭和56年に記念館が建てられた。

旭川兵村の米作りは、厳寒の地での過酷な開拓の中、数々の農機具の発明や稲籾の品種改良など上川稲作のパイオニアとなり、「上川百万石の礎」と呼ぶにふさわしく、後続の道東、道北方面の稲作普及にも貢献した。

館内には屯田兵にまつわる資料の展示室と、当時の住居を復元した屯田兵屋が常設されている。屯田兵屋の中半分は土間で、そこにむしろを敷き、雨の日も夜も農作業をした。居間の囲炉裏には一日中薪を絶やさず煙で虫を防ぎ、家族揃って囲炉裏を囲んで暖をとっていた。

屯田兵とは、明治時代に北海道の警備と開拓にあたった兵士とその家族である。明治7年に制度が設けられ翌年から実施、明治37年に廃止された。
明治25年旭川兵村に入植した屯田兵は、練兵場を開設し、午前中は軍事教練を受け、午後は家族とともに開墾作業や農作業に励んだ。道具類も多数展示されている。

兵村の人々の写真がいくつか掲げられている。これは、わら細工講習会後の1世2世の記念写真。

屯田兵に支給された軍服も展示されている。一番右の黄色のモールの付いている肋骨状の軍服は、明治6年に制定されたフランス式の騎兵の軍服である。

屯田物語原画綴」の著者広沢徳治郎が描いた「屯田絵巻」4巻の複製が展示されている。

森林の木を切り倒して、切り株の間を耕し、種を蒔いている様子が手に取るように分かる。

兵村記念館の右手に旭川神社がある。兵村に屯田兵が入植した翌明治26年に、天照大神木花開耶姫命を祭神として、早くも本殿を造営している。

旭川神社参道、兵村記念館手前に「神迎える楡」と呼ばれるハルニレの大木がある。幹廻り5.6m、樹高18m、推定樹齢300年以上とされ、全国で11位、道内で4番目に大きいという。アイヌの口承神話のユーカラでは、アイヌの祖神ラックルは雷神とハルニレの女神の子とされている。また、神々がハルニレの樹から火をおこし人間に授けたともされる。